誤診という言葉について

巷や前関わっていたHPでは、「誤診」という言葉が流行語の域にまで達していたように思われます。しかし心療内科や精神科の領域にそもそも誤診という言葉が存在するのか?は常につきまとう疑問といえます。確かに明らかな誤診と呼ぶべきケースは存在するのですが、難しいケースの場合、明らかな誤診のケースは数少ないのです。それはあとから重篤な症状が出てくることも確かにありえるし、それぞれの医師が全く別の診断体系をもっているからです。例えば区別がつきにくいものとして発達障害か統合失調症か、解離か統合失調症か、気分障害でもいろいろあるがACとだけつける人もいるし、挙げればきりがないでしょう。そもそもACは教科書的病名ではないので、そういう言葉を厳密に使わない人もいれば、状況を理解させやすくするために第一病名とする人もいるかもしれません。これらをどちらであると簡単に断言できる人のほうが本来危うい医師であり、患者側としても、ある医師の言だけを尊重するようになったら、これはもう妄信としかいえません。そういう場合は往々にして、家族が統合失調症という病名を恥ずかしく思い、それを避けたいという考えが働いているように感じています。副作用や薬害的問題に配慮することと、安易に一点の診断に流れることは一緒ではなく、発達障害という診断が役に立ったのは生育歴を省みることと、性格的な面を区別することと、家族の問題と、そして薬剤過敏性に考えが及ぶからに他なりません。

発達障害の大家神田橋條治氏は、解離と統合失調症は合併するといっています。愛媛の笠陽一郎氏は発達障害と統合失調症は絶対に合併しないといっています。気分障害があった時に、先天的要素は全く無視してACのみだという医師もいました。同じく発達障害の大家、杉山登志郎氏の教え子が診ている患者にセカンドオピニオンする機会もありましたが、その病名は発達障害に伴う統合失調症(急性精神病)でした。最後のケースの矛盾については各自調べていただきたいですが、一言でいえば皆バラバラなのです。
HP活動になにかしら関係していたこの人たち、しかも大ベテランで各地で大家でもあるこの人たちでもこれだけ違う。であれば市井のクリニックや病院では、それこそあらゆるケースがバラバラなのは必然であるといえます。実際私の患者さんでも、同じ病院で1~2年ごとに主治医が変わったりすると、統合失調症といわれたり違うといわれたりバラバラだったといいます。それはすべて精神科の診断が症候論であり、医師の主観によってきまるということからなのは素人的にも理解できることでしょう。

これらの問題はこの先も、精神の何かを数値化できたり検査化できない限り永久に続く問題でしょう。そして有用な検査などが実現する可能性さえ低いといわざるを得ません。やはり心理検査などは、科学性や客観性に乏しい面が否定できませんし、かといって科学的検査は全く追いついていないのが現状だからです。また精神状態は常に変化するものですから、診断名も状況に応じて変化していきます。診断書に定期的病名の見直しが載っていることもほとんど忘れ去られています。DSMやICDは商業ベースで作られたものであり、従っていれば万人が精神病になってしまいますし、かといって全否定できるものでもありません。簡易的な診断という意味で役に立つのは事実だからです。このような状況下で誤診という言葉を使ったところで何も本質的解決には結びついていないように思われます。

私自身はこの言葉の代わりに過剰診断という言葉を使っていました。観念的には内科、外科的な感覚であり、重い病気は皆嫌ですからできるだけ避けるように、しょうがないし周囲も納得できるから少しずつ重い病名をつけていくということになります。しかしこの観念は精神科医にはあまりありません。重い病気をできるだけ早くつけたほうが医師は楽だし、薬も出しやすいし、囲い込みにも成功しやすいからです。これらの行為を批判するにあたり、誤診という言葉はやはり的外れではないのか、もっといえば過剰診断という言葉も的外れかもしれません。こういうことをする医師は確信犯的なものがあり、まともな精神科医というのは常に病名に悩んでいるもの、つまり誤診という言葉を使えば、誤診を同一患者に繰り返すものではないかと思うからです。しょぼい結論で申しわけありませんが、「最も治らない領域」でありますので、診断にこだわる医師より、結果=症状の平穏化を多く導く医師を皆探していただきたいと願う次第です。

最後にシンポジウムのためデータ集計中なので、数字をひとつ出してみましょう。私のところへ転院し、現在も通院中もしくは治療を終了した15人のデータです(シンポではもっと大きな数字になります)。この人たちは統合失調症と前医で診断されて、その後当院に転院したグループですが、そのうちなんと!12人が幻聴も妄想も思考解体もすべて認めませんでした。2人は一過性で一回のみ何らかの症状が認められ、その後の再発が認められません。つまり典型的症状があり、再発性や難治性があるという人は1人だけだったのです。この人たちは今回のテーマに照らし合わせると「誤診」のグループでしょうが、前医も当院も統合失調症だったり、前医統合失調症当院発達障害で減薬して幻聴妄想が悪化する数はかなりの数あります。最後のは私が誤診しているといえなくもないわけです。そういう功も罪も含めて、データを集めてシンポジウムで発表していければと考えています。
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No title

東洋医さんは、誤診の問題点を何も分かっておられないようですね。

統合失調症という病気は、世界中どんな人でも、100人に1人かかるといわれていて、精神科医にとっては、内科や小児科が「風邪ですね」と診断するくらい、無難な診断名です。
そして、この病気と診断していれば、ほとんどの向精神薬を使用することもできますし、症状が悪化したり、薬物性の精神症状が出たりしても、誤魔化すことが容易です。

まず、この病気はカウンセリングが効果がないということが言われているため、患者の話を聞かなくてすみます。
保険適用内で診療している場合、カウンセリングは、診療の回転率を下げる厄介な問題です。5分間診療があたりまえですが、1秒診療というのもあります。診察室に入ってすぐ出されます。そして薬を処方されて終わりです。
統合失調症ではない人にとっては、症状や悩みを医師に伝える時間が必要
ですが、統合失調症と診断してしまえば、効果がないため、その必要性はなくなります。

次に、インフォームドコンセントの必要性も無くなります。
患者は統合失調症と診断されますと、妄想があり、まともにコミュニケーションがとれないと判断されていますので、インフォームドコンセントの必要もなく、作用や、副作用などを聞かされないまま、強い薬をどんどん処方されるようになります。
本人も、病気の症状なのか、薬の作用なのか、分かるには10年以上かかる場合も、よくあります。
精神科医も、処方のまずさをを誤魔化しやすくなります。

そして、統合失調症と診断されている場合は、精神科医の診療や、処方に重大な問題があるとして、それを相談するため、管轄する保健所などの、公共機関に行っても、門前払いされてしまいます。
妄想があると言われている人の話をまともに聞いてくれる人はいないでしょう。することと言えば、近場の精神病院に連絡して、おかしな人がいるので、対応してほしいというような事を言うだけです。これが証拠になり、強制入院させられてしまいます。ここまで来ると完全に人権侵害です。
こういう誤魔化しが蔓延しているため、精神医療はまともな医療ではないと言われている所以です。

家族内でのゴタゴタが起きていても、統合失調症と診断されている方、一人の問題にされやすいです。
父親や、母親の暴力、過干渉などで、うまく社会と関係が作れない人でも、親には何の責任もなく、統合失調症と診断されている子どもに、一人薬を飲ませることで、問題解決をはかろうとします。
当然、精神科医は、面倒な家族のゴタゴタに首を突っ込みたくはないので、詳細は聞きません。子どもに薬を飲ませておけば、見かけは治療していると言えますので、責任回避になります。
親にとっても、自分の非を認めなくてもよいので、責任は回避できます。
医師と親とが、WIN、WINの関係になるのが、統合失調症という診断です。

一度、統合失調症と診断してしまえば、患者を強制入院させる大義名分を容易に持つことができます。
閉鎖病棟内で、どんな薬を処方し、どんな扱いをしても、ブラックボックスの中です。
本人の異議申し立てによる救済制度があるといっても、外部の人は、薬で症状が悪化しているか、病気が悪化しているかは分からないでしょう。
しかも、強制入院されている分けですから、通常冷静ではないです。
そして、親や兄弟とも、いざこざがあり帰るところはありません。
よほどのことがないかぎりは、面会して外へ出すことは皆無です。

今では、画家として成功されたジミー大西氏も、自動車教習所の適正審査で、精神科受診をすすめられ、そのまま精神科に強制入院させられそうだったところ、明石家さんま氏が、なんとか医師を説得して、外へ出すことができたというエピソードがあります。
さんま氏が、熱心に医師を説得していなければ、ジミー大西氏も閉鎖病棟で長期入院、薬物治療で症状が悪化していた可能性は高いように思います。

そして一度この病気の診断がついてしまえば、社会復帰が容易ではないということです。
何事も、妄想とされてしまうと、まともに人とコミュニケーションはとれません。
妄想があると言われている病名だった人、しかも完治はしないとされている人を、雇用してもいいいと思う人はいないでしょう。

このように、精神科医にとっては、統合失調症であっても、他の精神疾患であっても、薬さえ症状にあっていれば、問題ないというような楽観視した気持ちでおられる方がいますが、実はのところは、全く治療法が違い、社会的な立場も変わってきて、人権の剥奪にもなります。
逆に精神科医のメリットは、診断の誤り、処方の誤り、治療の誤り、時間内で患者を多くさばくことができ、家族とのゴタゴタに首を突っ込まなくていいなど、誤魔化しがいくらでも利く都合がいい診断が『統合失調症』というとになります。
この診断にしていることによって、医師は安全、便利、容易を手にするとができます。

しかし、精神医療界で、笠医師という空気の読めない方が、「誤診、誤診」と言い出したので、これは面倒だということで、『発達障害』という病名が急速に流行しだしたということでしょう。
そこらへんなって、ようやく東洋医さんが、出てこられたということです。

東洋医さんは、医師でありながら、精神病院というものを知らなすぎます。各地の閉鎖病棟を見てまわって、長期入院中の方の声を聞いてまわれば、もう少し診断の重要性が分かると思います。

診断の大切さ

>診断にこだわる医師より、結果=症状の平穏化を多く導く医師を皆探していただきたいと願う次第です。


診断ができずにどうして処方ができるのか、そして真の「病状の平穏化」ができるのか不思議でなりません。
まちがった診断で、間違った処方を受けてきたためどれだけの人生を失ったか。せめて除外診断でもしてくれたら、誤診は避けられたかもしれないのに・・・

診断にはこだわってほしいと思います。

No title

統合失調症である可能性で、診断すると、医師自身が疑心暗鬼に陥り、患者全員が統合失調症に見えてしまいます。
統合失調症でない可能性で、診断しなければ、正確な診断はできません。
精神科医の腕を見るときには、ここのところをどう考えているかどうかでだいたい分かります。

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皆様を批判したいわけではないのですが、どうもコメントがずれているように感じるのは私だけでしょうか?

東洋医先生が言いたいことは
①安易に診断をつけることの怖さと、重く診断することの怖さ
②重い診断に伴う薬のいい加減さ、多さ
③病名は状況によって変わるという問題(心理学的にも常識)
④いろんな先生でも診断が変わるという曖昧さの問題
⑤この結果導かれる<正しい診断>.などという存在に対しての疑問
なんだと思います。

もともと東洋医学というのは、病名というより体質などを判断して<証>を探すと聞いたことがあります。そういう思想が東洋医先生の中にはあるのかもしれません。
患者さんで診断を嫌がる方は多いと思います。一人の人間としてみてほしい、病気にしないでという訴えは理解できるものです。診断を欲しているのはやっかいものを払いたい家族であり、医師だけではないでしょうか。
昔心理学を広めた哲人たちは、病名というより、その苦しさが何からくるかという内面性を重視しました。東洋医先生のような意見があってもいいかと思います。「診断をつけなければいけない」ということ自体、「西洋医学に洗脳されている」と仰る先生もいたように記憶しています。

No title

最近では、統合失調症は、早期に抗精神病薬による薬物治療をしなければ、脳が萎縮してしまって、取り返しがつかなくなると言い出す医師や、情報通のご家族の方が増えてきまして、厳密に統合失調症かという診断は、ひとまずおいといて、とりあえず抗精神病薬を飲ませてみるというのが、流行ってきていますね。
結局、一昔前に戻ってしまったようです。

No title

特別、悪質と言われる医師でなくても、商売で医師をやっている以上、統合失調症という診断をつけておくのは、多くのメリットがあります。
医師本人は悪いことをしているという自覚はないと思います。
精神医療全体が、統合失調症、早期薬物治療、カウンセリング不要という、ビジネスモデルを軸にして、成り立っているところがあり、それを肯定するような入門書も多数出版されています。
そのため、統合失調症の概念は、どんどん広がってしまい、不眠や、登校拒否は、統合失調症の初期段階というようになり、いつの間にやら、本当に薬物性統合失調症になってしまう方も多くおられます。

一度、薬物無しでどこまでやれるかを、患者と寝食ともにしながら、数年訓練をつめば、また新しい何かが見えてくるかもしれませんね。

No title

//今では、画家として成功されたジミー大西氏も、自動車教習所の適正審査で、精神科受診をすすめられ、そのまま精神科に強制入院させられそうだったところ、明石家さんま氏が、なんとか医師を説得して、外へ出すことができたというエピソードがあります。
さんま氏が、熱心に医師を説得していなければ、ジミー大西氏も閉鎖病棟で長期入院、薬物治療で症状が悪化していた可能性は高いように思います。//

これ本当か?明石やさんまさんがいなかったらと考えるとぞっとするは。

No title

>DSMやICDは商業ベースで作られたものであり、従っていれば万人が精神病になってしまいますし、かといって全否定できるものでもありません。簡易的な診断という意味で役に立つのは事実だからです。
そうでしょう。しかし、その使い方や解釈の仕方が問題なんですよ。
簡単診断で「この人もあの人もこの病気」とひとくくりにされてごらんなさい。あなたはご自分で何を書いて居られるのかわからないのですか?
この手法を用いて「余計にひどくなり」他院にて「違う病名・違う処方」で改善したら「誤診だった」と思うのが世の常です。医師も人間だ、間違いはあるでしょう。ならばなおのこと、そのややこしくも馬鹿げた「商業ベースの産物」に頼るがゆえの誤診スパイラルを問うことは賢明なのではなかろうか?
従っていれば万人が精神病になってしまいますし>ならばなぜ使うのでしょうか?
>このような状況下で誤診という言葉を使ったところで何も本質的解決には結びついていないように思われます。
では、本質的改善とはどのようなことなのか。こんな底辺も見て見ぬふりをする事態が何も本質的解決には結びついていないように思われます。

No title

「鉄腕ダッシュ」の犬特集を見てふと思った。
問題行動を行う犬は、発達障害でも精神病でもない。
飼い主が犬とのコミュニケーションの取り方を知らないだけで、ドックトレーナーが、飼い主に犬とのコミュニケーションのルールを教え、飼い主が教えられた通りに、2カ月ほど犬にトレーニングをすることで、ほぼ完全に問題行動をおこさなくなった。
そして、昨年11月のBS世界のドキュメンタリー「この子に“心の薬”は必要か」を思い出す。
あるイギリスの家庭は、小学生の子どもにも多くの向精神薬を飲ませており、飼い犬にも抗うつ剤を飲ませているいう。

犬と人間とを並列に扱うとはけしからんという方もおられると思うが、犬がルールとトレーニングで改善するものが、人間ではまずは、精神科へ行き、薬物治療ということになっているのは不思議なことだ。
日本も、もう少し獣医学が発展すれば、犬に手間のかかるトレーニングではなく、獣医師が向精神薬を処方するのが普通になるのかもしれないが、
本来、人間の発達障害というものも、犬のトレーニングのように、薬などに頼るモノではなく、個々の資質を理解し、それにあったコミュニケーションのルールづけや、トレーニングで解決するように思える。
しかし、人間には、言葉が話せるためか、その場、その場で、ルール設定が曖昧になりやすい、そのあたりに親や医師に甘えが出ていないか。
「正しいことを指示しているのに、なぜ指示に従えない? 周囲の子どもと違う。これは病気に違いない。病気だから薬が必要だ。」
薬で楽して、物事を解決しようとすれば、後々、より問題が大きくなりかねない。その影響は、10年後、20年後になって出てくる可能性は高いだろう。

犬にも、漢方ってところまでは、さすがのイギリスでもまだみたいだけど、こちらは漢方先進国の日本の方が早いでしょう。
トレーニング不足の犬に、向精神薬の補助薬として、漢方が処方される日も近いのかもしれません。そうすると、ドックトレーナーという職業も、疑似科学の代替医療、プラセボ効果だと言われるのかもしれません。

No title

はたして「医師」と名のつく方が本当の統合失調症というのをご存知なのかと疑問に思っています。
診断基準もとても曖昧
それで大事な子供達に薬を処方していいんだろうか?

薬を用意するのに本当にこの薬は必要なんだろうかと常に罪悪感と向き合いながらしていた親たちを医師は知ってるんだろうかと思います。
プロフィール

キチガイ医

Author:キチガイ医
平成25年4月よりTokyo DDCとNPO法人薬害研究センターを設立、平成28年1月からはうつ民のセレクトショップや無料メルマガもやってます(詳しくはリンクをご覧ください)。薬の減薬や断薬、支援施設運営や、執筆や啓蒙活動を通して、自分の素人的意見を発信していければと思います。当ブログはリンクフリーですが、リンクするときは一声おかけください。

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