放射能のその後

原発問題を書くのは久しぶりだが、その後について私見を書いてみる。本論は変わらないのだが、状況がさすがに変化してきたことは確かである。原発はほぼ冷温停止に近づき、放射能の問題も健康問題や内部被爆、除染や賠償問題に移行してきている。精神医療とも結びつけて書いてみたい。

先日ニュースで以下の件について報道されていた。しかし報道(確かフジテレビ)で甲状腺よりもっと気になることを、専門家がさらっと(まさにさらっと)言っていた気がする。「子供の健康被害は増えている。風邪をひくからだるい、免疫力低下、奇形児や未熟児の出産頻度が増している。」この話がどれくらい本当かはネットを見てもわからない。内部資料があるのかもしれない。もしそれが本当なら甲状腺など二の次である。
http://www.mainichi.jp/select/science/news/20110930k0000m040093000c.html

ある人にチェルノブイリの影響に関する情報をもらった。それが以下だが、
「ベラルーシ・ゴメリでの、子どもの非がん性疾患の激増 」
http://peacephilosophy.blogspot.com/011/09/sharp-increase-of-non-cancer-diseases.html
私はこのデータについては信用できるかと思う。国家(ソビエト)が出したデータなど信用しようもなく、もちろん癌に関しても増えるが、そういう情報の一助となろう。

放射能のホットスポットについてもここでは書ききれないが、野田や柏の件について載せておく。茨城、千葉はあの時の雨の影響でホットスポットが多いとされていたが、まさに証明されている。
大人よりも子供の影響はさらに深刻である。
http://www.mainichi.jp/select/science/news/20110930k0000m040093000c.html

福島の数十キロ圏内ではプルトニウムが検出されたことも、ニュースでは報道されたが、あまり深くは取り上げられなかった。そもそも重いので飛ばないと多くの御用学者がいっていたはずである。プルトニウムはご存知のように毒性が強く、少量でもがんを引き起こすとされている。少量だから、福島内だから、でいい問題ではなかろう。

肥田舜太郎という内科医師がいることを最近知った。広島の被爆者で被ばく治療をしてきた医師である。戦中戦後を生き国家と情報統制の恐ろしさをよく知っている人だと思う。高齢であまり科学的な議論ができる人ではないが、講演などについてよくまとまっているブログがあるので紹介したい。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-203.html

この先生の文章と精神医学はいくらでも対比できる。
放射能が病気を生む→精神医学、精神薬が病気を生む
放射能は何も害がないとアメリカの偉い軍人がいった→精神薬は何の副作用もないと大学の偉い教授がいった。
放射能被害者は話してはいけないと宣言した→精神障害とつけられた人はこの世で話す権利がないと扱われる。
アメリカは原爆を落とした上に被害者の生きる道を閉ざしている
→精神科は精神薬を投与するうえに、病名までつけて道を閉ざしている。
日本の警官も見ないふりをしている→社会も厚生省もみないふりをしている。
原爆の病気の研究することも禁じられる→薬害の調査も禁じられ、レセプトチェックも滞っている
日本の政府はアメリカの肩をもつ→日本政府は精神科の肩を持つ
テレビに出てきて知ったような顔する学者→NHKで精神障害の概念、精神薬を宣伝する医師たち
放射線の病気が始まってくるのはこの秋から来年の春にかけて→精神薬害は長年かけて熟成されてきた
放射線のせいだと証明する学問がない→精神医学のせいだと証明する学問がない

「完全犯罪なのだ。証拠を上げられない」まさにこの言葉がすべてである。今後のことについて東電や国はもとより、東大や東工大の御用学者、安全論を唱えるジャーナリストもどき、教育委員会、果てはそれに追従する一般人のアホどもまで、どう言い訳するのだろうか?もちろん自分達は正しい、何の副作用もない、私たちのせいじゃない、あの専門家たちのせいだ、データがなかった、自分は大丈夫だった、その他etc、決して自分達の非を認めることはあるまい。そして結局精神科医と同じ言い訳をたどるであろう。

放射能安全論を訴えるのは、精神科や精神薬安全論を訴えるのと何も変わりはしないのだ。

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はじめまして

いつもブログを拝見させていただいております

驚きました
わたしも今日放射線問題をブログで書いたところです
わたしがブログを立ち上げた理由のベンゾジアゼピンの薬理、薬害
精神科医療の実態、裏事情
どうしても放射線問題とリンクしてしまい書かずにはいられませんでした

数年後たくさんの病気が多発してくる中で
何人の医師が放射線との関連を認めて治療にあたってくれるのだろうかと・・
同じ日にリンクする内容を書かれていたので驚いてコメントしてしまいました

わたしの息子も発達障害児です
よかったらブログを覗いてみてください<(--)>

死なないから。大丈夫。かっこちゃんの言った言葉。

 第796号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと  
                    2011年10月9日現在 参加者人数4981人
 「10/9 昨日の宮ぷー」      
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メルマガの生い立ちをこちらのページに書いていますので、ご参照ください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html


青い色の絵をいっぱい描いています。やっぱり青い色はつながる色のように思えてな
らないのです。いつも小さいころから、私、青い色でいっぱいにして眠るのが好きで
す。

サンマークのひろこちゃんが教えてくださいました。本が売れるかどうかは、一週間
とか十日のうちに、アマゾンさんとかでなくて、本屋さんで、どのくらいの数が売れ
たかどうかに、かかるんですよって。それを見て、本屋さんが注文をされるからなの
かなと思いました。それで、ひろこちゃんが考えてくださったことは、フェイスブッ
クの山元加津子の本のところに書いてくださったのだけど、「かっこちゃんが投稿し
てくださった「読者プレゼント」の件、詳細の発表は11月4日(金)(発売の10
日前)を予定しています。少しお話しすると、「e-hon」というインターネット書店
で買っていただいた方に抽選でプレゼントをお送りする企画です。楽しみにお待ちく
ださいね~。」ということで、そのe-honさんで注文していただくと本屋さん扱いに
なるのだそうです。

でも、注文していただいたら、お近くの本屋さんまで取りに行っていただくことにな
るそう。うーん、大変かもと思いました。だから、ひろこちゃんが、「読者プレゼン
ト」のことを言ってくださったのです。どうぞみなさん、そのときには、お力を貸し
てくださいね。それで青い絵や魔法の棒やエリンの首飾りをこれから、作ったり描い
たりしますね。それから、私はああ、大好きな三五館さんのときも、こんなことが
あったんだなあと思って、知らなかったなあと思いました。

麻梨子さんからのメールをいただきました。
・・・・・
夫は今年、2011年4月3日に脳幹出血で突然倒れました。職場でデスクに座っ
て、同僚と仕事の話をしていて突然ろれつが回らなくなって、倒れたのです。すぐに
救急搬送。職場の場所はとても消防署からも救急病院からも近い場所だったのですが
救急車の中で、どんどん弱っていったそうです。病院に到着した時はすでに呼吸は無
く、即気管内挿管で人工呼吸器が取り付けられました。

実は夫は単身赴任をしていました。でも、その前日4月2日は土曜日で私は仕事が休
みだったので夫の所へ行き、夕食は一緒に手巻きずしを作り、おいしいねと言って食
べ、2~3日分のおかずを作り、翌朝は仕事へ行く夫にお弁当を作って、送り出しま
した。その日の朝には私も自宅へ帰りました。午前中、自宅の片づけ等をし、午後1
時過ぎからテレビを見てまったりしていた、午後2時半過ぎ、主人の職場からの電話
「ご主人が仕事中、突然ろれつが回らなくなり、倒れ、救急搬送されました。」との
連絡。私はバックを持ち、車のハンドルを握りました。でも、ハンドルを握る手はガ
タガタ震え、心臓は高鳴り・・・・・近くのコンビニでバイトをしていた二男の所へ
とりあえず行き、二男に運転をしてもらって病院へ向かいました。

病院へは高速道路を使って50分くらいのところです。長男も新幹線ですぐに病院へ
来てくれました。倒れたという情報しかなかった私たちでしたがなぜかそこまで深刻
な病状であるとは思っていなかった、お気楽親子でした。しかし、病院で会った夫は
私の知っている夫ではなく、左右の手足には管がつけられ、モニターからは警告音が
ピンポンピンポン鳴り続けていました。そこからは宮ぷーと同じです。「今日明日が
山です。」「この写真を見ると、1週間以内に無くなる可能性が大です。」脳幹から
の出血がとても多く、深刻な状態でした。

私は先生に「会わせたい人がいれば会わせたほうがいいということですか?」と尋ね
ながら、なぜか夫は死なないと思っていました。その根拠は全くないのですが夫が全
く死ぬとは思わなかったのです。だから、かっこちゃんが宮ぷーは死にません。大丈
夫です、と言った気持はよくわかります。私も何もできないけれど、救急救命室の夫
の手足をさすり、「がんばってね」と声をかけていました。2週間後に夫は眼を開け
ました。その後2カ月弱で人工呼吸器もはずれ、瞬きで反応も出るようになりまし
た。発症から2カ月以内でなければ回復期リハビリを受けられないということで、と
てもラッキーなことに夫は回復期リハビリ病棟へ転院することができました。

でも、意識障害もある夫。血圧も安定せず・・・・・しかし、いろいろな刺激の為に
ずいぶん回復してきました。酸素も取れ、呼吸の練習をし、ベットを起こして血圧安
定を図ったり、端座位を取ったり、でも、重症の夫にはしんどいリハビリです。体の
状態も不安定で血圧変動も激しく、あと1カ月で回復期が終わります。最近私がすご
く思っていたのが私たちからの発信は夫に伝わるけれど、夫からは発信できない閉じ
込め症候群。今日は体がきついからリハビリがやりたくないな。と思っても伝わらな
い。「リハビリ、やってもいいですか?」とか「座ってみましょうか」と尋ねても反
応が鈍く、なんとなくあいまい。でも、嫌と伝えられないからリハビリはやってしま
う。

夫自身のやる気がなくなってきたのがすごくわかりました。きっとどうしてこんなこ
とになったんだろう。自分はこれからも一生このままなのかなどいろいろなことを
思っていたんだと思います。私もいろいろな本を探し、脳障害に生きる人々の中の閉
じ込め症候群の話や脳は甦るなどの本を読んで聞かせたりもしました。どうやったら
もっと気持ちが通じ合えるのか、どうやったら夫の声が聞けるのかそんな中、かっこ
ちゃんと宮ぷーの事を知りました。朝早く目が覚めた時につけたテレビでやっていた
「テレビ寺子屋」かっこちゃんのお話大好きのなかのユーチューブの宮ぷーの雰囲気
は夫にそっくり。涙が止まらず、何を読んでも夫と姿が重なり、ずっと泣いて読んで
いました。

意思伝達装置のことも知っていましたが、私も高額で手に入るものではないと思って
いました。夫に宮ぷーの事を伝え、宮ぷーのプロフィールや思いをプリントアウトし
て読んであげました。回復期が終わって療養の病院へ移っても、減ったリハビリは私
がフォローしてやってあげればいいんだ。いろいろなもんもんとしていた私たちの思
いが吹っ切れました。本当に宮ぷーとかっこちゃんに会えてよかった。ありがとう!!
私たちもがんばるから、一歩先を行くかっこちゃんと宮ぷーもがんばってください。
レッツチャットのこと、バランスボールのリハビリのことたくさん聞きたいことがあ
りますが今日はこのくらいにします。三連休は私も夫に付き合います。
・・・・・

宮ぷーの倒れたばかりの頃のことを思って、少しでも何かできるのではないかと思っ
て、お電話をいただけますか?とメールをしました。そしてお話しをさせていただく
ことができました。お話しを伺って、宮ぷーとそっくりだなあと、私も思いました。
目が上下には動くようになったけど、左右にはほとんど動かないこと。目が片方閉じ
れないこと、玉のような汗を体半分にかくこと。いろいろなことが全部宮ぷーにもあ
てはまることばかりでした。でも、だったら、必ずあきらめなければ、きっと麻梨子
さんのご主人も思いを伝えられるようになられますね。祈っています。そして応援し
ています。一緒にどうぞ、頑張りましょう。

 今日、麻梨子さんとお話しをさせていただいていたことは、座位保持装置を作るこ
とが、身障者手帳があればできること。そして、それはとっても必要だと思うので
す。それから、口の周り顔の頬のところなどは、三叉神経に直接つながっているの
で、ものすごく脳に刺激が行くのだということ。だから、いっぱい歯磨きをしたり、
顔を触っておられるとのことだったのでそれは、本当にいいのだということ。そし
て、私はやっぱり何よりあきらめないでいれば必ず方法はみつかるのだということ。
そう思っているというようなお話をさせていただきました。

 今日は宮ぷーはメガネ屋さんで、紫色のフレームのメガネを選びました。いっぱい
ある中でそれが気に入ったんですって。宮ぷーはなかなかおしゃれです。それから近
くの本屋さんにも行って帰ってきました。前の外出のときに続いて、吸痰の機械も
持って行かなくても大丈夫でした。自分で咳き込んで出すことができていたし、それ
から、おしっこも、帰ってきてから、して、おむつも濡れていなかったのです。
わー、すごいよ。宮ぷー。
今日は朝、母のところにも行けました。メガネ屋さんにも行けたし、夜にはひろこ
ちゃんも来てくださったし、やっぱりうれしいいい日です。

かつこ

~~~~~~~~~~~~~~
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http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/miyapupuro/kokorokakehasi.html
携帯からは空メールを送れば登録できます。a0001012961@mobile.mag2.com
このメルマガは脳幹出血で倒れ、これまでの医学の常識では再起不能と思われていた
宮ぷーの病院での毎日を、親友の山元加津子が綴った日記からその一部を配信してい
ます。紆余曲折があり、今は宮ぷーの願いは自分の経験を通して意思伝達装置のこと
をみんなにお知らせすること。その願いの実現に近づくようにこのメルマガを広める
ことにお力を貸して下さい。お友達に転送お願いします。
詳しいことは、こちらのページをお読みください。
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(関連ページ)
宮ぷー レッツチャットで、今日もおはなし http://ameblo.jp/miyapu-ohanashi/
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~~~~~~~~~~~~~~
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お見事ですね。

No title

また睡眠薬のキャンペーンがすすめられている様子です。
皆さん注意しましょう。

こわいことがたくさんの世の中で

 第806号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと  
                    2011年10月19日現在 参加者人数5022人
 「10/19 昨日の宮ぷー」      
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先日、リランで初めて高速道路に乗ろうとしました。どこにカードを入れるんだろ、
きっとここ。そう思って、暗闇の中、ETCカードの装置?のすきまにカードを入れま
した。でも、「カードが入っていません」って言います。入れ方が足りないのかなと
ぎゅーっと押し込みました。でもだめです。それで、携帯電話で照らしてみたら、私
が入れたのはどうも、ETCカードの装置と、装置を入れる空間のすきまにぎゅっと押
し込んでしまったようでした。なんだかそんな小さなことがめちゃめちゃ悲しくなっ
て、ちょっと泣きたくなりました。だって、どうやってもどうやっても、カードは取
れそうにないのですもの。

あわてて、ちゃんとみないで適当に入れてしまった自分が悲しかったのか、リランに
申し訳ない気持ちになったのか、今ETCが使えないのが悲しかったのか、あるいは、
ずっとそこにある何かわからない悲しみが、本当は隠れていて、そのことに気がつか
ないでいたのか、それはなんだかわかりません。でも、なんだか悲しくて、ちょっと
泣けてびっくりしました。それで岐阜羽島のときに、車座になっていたときに、来て
くださっていたお友達が外国で、キャッシュカードを入れたのに出てこなくて、たぶ
んシュレッダーにかかってしまっただろうと言われたのを聞いたときに、そのことを
思い出して、私も脈絡もないのに、ETCのカードがとれませんと言いました。

てっちゃんが、きっと裏から取れるよと教えてくださって、そしたら、本当にダッ
シュボード?の端っこは裏があって、裏に電線とかもあって、そこのすきまにありま
した。それで今度は方向とかもきちんと考えていれました。入ったよ。ああ、よかっ
たです。

岐阜羽島のお一人お一人の講演会のことをどんなふうにお話しようと思っても、上手
に書けなかったら、来てくれたひまわりの種のあかねちゃんが、レポート?してくれ
ました。
それで、これを載せさせていただくことにしました。あかねちゃんありがとう。
・・・・・
かっこちゃん、本当に、お疲れ様でした、羽島のあとの講演会も、行けてよかった
ね。羽島では、本当に楽しい思い出になりました。あ~本当に不思議だなーと思う事
がいっぱいいっぱいあって。

それは、行きの電車で、何だかとっても眠くて、何と、知らないおじさまに、寄りか
かり、すやすやと寝てしまっていたのです。きっとあかねの切符を、見たんだと思い
ます。「とんとん」と、肩をたたいて下さって、「降りますよ」と言うのです。
「はっ」無事に降りれました。何度もおじさまにおじぎをしました。そして、「西
口」で降りなきゃいけないのに、何だか改札を通ったら、何と、駅の駐車場に降りて
しまいました。どうしよう。どうしよう。次のバスの時間もあるしな~とそこへ、あ
かねと同じように迷っておられるおば様がいらしてそこから、2人で、色んな人に、
下に降りる方法を教えてもらいました。

その方は、新しい病院に行く所で、何だか心配になって、「バスターミナル」まで、
2人でいきました、無事おば様を見送った後、今度は、あかねのバス乗り場が、分か
りません。時間が、迫ってきます。あーん。どうしよう?と思っていたら、なんと、
今度は、お婆さんが傘の柄であかねを、「ツンツン」とするのですそして、「お嬢
ちゃん、もしかして、岐阜羽島の温泉に、いくのか?」と聞かれてビックリ!何で分
かったんだろう?「はい、はい」と言うと、「わしについて来い」といって、バス乗
り場まで連れて行ってくれました。お婆さんも羽島に行くという事で、道中とっても
楽しかったです。

そんなわけで、皆様のお力をお借りして、無事に着けました!わーい!!ほんとに人
は、1人じゃないし、どうしよう?と思っても、誰かが助けて下さる、もう、泣きた
いくらい嬉しかったです。かっこちゃんにも、会えたね。阪根さんにも会えたよ、
てっちゃんにも会えたよ、小林さんにも会えたよ、サンマークの鈴木さんにも会えた
よ、みんなにも会えたよ。うわ!!ウレピー スイッチの映画も観れたよ。泣い
ちゃったね、あかねが、小さい頃から、思っていた、点が、線になる事も、あっ、間
違ってないんだな~と思いました。

あかねはね、自分が、生きてる道が、点であって、そして、人とであったり、嬉しい
事があったりそうすると、「あっ線になった」と思うのです。それから、気持ちが伝
え合えた時とかね、だから、母とは、ずっと「点」だったけれど、「線」になれたの
です。今回は、皆さんが「魂」のお話をしてくれました。あははっ、てっちゃんは、
元気いっぱい!てっちゃんのお写真は、涙が出るほど、心が、揺さぶられます。てっ
ちゃんは、楕円で捉えていた、でも、○になった。とのこと、あかねは、ずっと、小
さい頃から、○で捉えていたから、あ~お人によって全然違うんだなーと思ったよ。

阪根さんは、心が、綺麗なのでしょう。でも、沢山お話が逸れて、あはーっ。宇宙人
のお話になっちゃった。それでね。かっこちゃんのお話になったとき、こんな事言え
るのは、かっこちゃんだけしか言えないんだけど。かっこちゃんがお話してる間中、
かっこちゃんの身体全体を光が覆っていました。それは、電気の明かりかな?とも
思ったのだけれど、小林さんが、電気を消しても、その光は、絶え間なく輝いていま
した。光は、かっこちゃんが、動けば、ちゃんと、動いていて。。。どうも、かっこ
ちゃんから、発せられてる物だと分かりました。何故か?光の形が、変わるのです、
最後には、かっこちゃんが「伝えたい」と思う気持ちが強かったのか、光が、とげを
出したよ。

きっと、こんな事を言うと、あかねが、何かを感じるとか、思われるかもしれないけ
ど、そんな力全然ないしね。でも、きっと、かっこちゃんが、伝えたい事、そのエネ
ルギーが、光になったのかもしれません。。そんなわけで、必ず、全てが、うまく行
くから、大丈夫。あかねは、そう確信したのです。。。そして、必ず、人は、エネル
ギーを、持っていて、それこそ、村上先生じゃないけれど、スイッチがONに成った
時、光輝くのかもしれません。そして、ONもOFFもみんな必要で、無駄が、1つも無
い事、常に「再生」し続ける、わーん!こんなお話をしていると、長くなるので。。
。。この辺で、

サンマークの鈴木さんは、かっこちゃんに「毎日、宮ぷーのところに行かれて、凄い
ですね」といった、でもあかねも、きっと、大切な人が、倒れたら、毎日通うと思
う。それは、理屈も無く、苦でもなく、それは、「幸」なんだ。本当に、楽しかった
1日でした。かっこちゃんありがとう。それに、ありがとう。が、もう1つ。あか
ね、宴会場で、転んだ、、、でも、皆さんが、「だいじょうぶ?」といってくれた、
あかね、小さい頃転んでも、笑いものだったし。母からも、「あんたが、しっかりし
ないからいけないんだ」と言われて、何度も、「今日は、転びませんように」と祈っ
たものです。でも、あかね、小さい時から、全然変わっていないから。それでも、周
りは、変わっていてくれて、「大丈夫?」と言われたのが、涙が、出るほどうれし
かった。 

好さん、好さんのメール、暖かかったよ、「苦」を人は、「幸」に必ず換える力を
持っている。あかねには、過去もある、今もある、そして未来もある。全てが、1つ
なんだね。過去に「苦」があっても、それは、消さなくても良い、今が、「苦」で
あっても、そのままで良い、好さんのメールには、「苦」。「悲」があるけれど、何
だか暖かい、それは、きっと、好さんが、今、何かを、掴もうとしてるから、いっぱ
い泣いてもいいんだよ。好さんの心の中には、ちゃんと、「幸せの法則」が、ある
し、「苦」の中にある一瞬の「幸」があるんだよ。そして、自分を丸ごと愛せたら
きっと、「大丈夫」になるから。人は「愛する為、愛される為」に生まれて来た!と
あかねは、思っています。

どんな事があっても、「愛」には、勝てないもの。好さん、大丈夫、みんなもいる
よ。生まれてきてくれてありがとう。好さん。。 宮ぷー、宮ぷーお熱は、どうか
な?土曜日にかっこちゃんが、教えてくれたよ。でも、大丈夫。宮ぷーだもん。今日
は、かっこちゃんへのメールが、長くなっちゃった。かっこちゃんが、疲れちゃうよ
ね。宮ぷーに怒られちゃう。この辺で。。。あかね
・・・・・
あかねちゃんありがとう。あかねちゃんのメールにはあかねちゃんの心がいっぱい表
われていて、いつも、本当に温かです。あかねちゃん、あかねちゃんが、伝えたいこ
とがあって、とげが出てきたというのを聞いてびっくりしました。

私がこのとき、すごくすごく一生懸命になっていたのは、結局のところ、このごろ、
ずっと心の底からわきあがるように、思っていることです。このごろ、講演会には、
意識がないと思われているご家族の方も何人か来てくださることが多いです。今倒れ
たばかりという方もおられます。そして、少し手が動くようになっているとか、いろ
んなことをお聞きすると、私なんて何もできないくせに、できることなら、すぐにで
も、ご家族の方のところに伺って、一緒に動く場所はないか、おしゃべりをする方法
はないか、体を柔らかくする方法もお伝えしたいとか、あるいは、やっぱりもっと
もっと早くに、多くの方に、たとえば、立ったり座ったりが大切とかをお伝えしたい
と涙が出るほど思ってしまうのです。

昨日私と同じように、特別支援学校の教員をしている、私と双子の妹のいっこちゃん
がメールをくれました。
・・・・・
講演会お疲れ様。今日、愛知教育大の障害児教育の森崎先生って言う准教授の心理リ
ハビリテーションの講演を聞いてきたわ。すごくよかったよ。肢体不自由の子でも脳
疾患の人でも座ったり立ったりすることはすごく大切だって言ってたよ。脳卒中で倒
れた人でも安静を優先してしまうと廃用症候群って関節とか筋肉が固くなってしまう
から3日目ぐらいから意識が…

[続きはコチラから]
https://mypage.mobile.mag2.com/WebLeading.do?id=EykuUa5m0L3&position=4500#position

つながろうね

 第806号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと  
                    2011年10月19日現在 参加者人数5022人
 「10/19 昨日の宮ぷー」      
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http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html


(今日の第一信の続きです。)
こんなに長いお願いをしました。メルマガを読んでくれているみなさんの力はすごい
のです。その日のうちに、たくさんの方が、ミクシィやツイッターなどに書いてくれ
て、署名を始めてくれました。そしてたくさんのメールもいただきました。「署名を
始めるよ」「だいじょうぶ、みんながついてる」…とてもとてもうれしく心強かった
です。けれど、ネットの中に「企業責任を追及しなくてはならない」という文字を見
つけて驚きました。企業責任の追及? 違うよ違うよ、私は、こんなに素晴らしい装
置を作ってくださった企業さんに心から感謝しています。今はすごく不況の時代で
す。会社の方も誰もが、生きていかなければなりません。だから、いろんな事情が
あって当たり前なのです。それでも、作り続けてほしいとお願いをしたいのです。感
謝の思いをお伝えして、そして、お願いをして、私も小さな力だけど頑張りますと言
いたかったのです。

私の書き方が足らなかったのだと思いました。
そこで、次の日にはさらに、下のようなことをメルマガに書きました。

たくさんの署名のお知らせをブログやミクシィに書いていただいて、本当にありがと
うございます。私が書いた文章なのに、自分で少し言葉が足りなかったなとすごく反
省をしています。みなさん、お願いします。次のことも、伝えていただけますか?

レッツ・チャット存続の署名のこと、ありがとうございます。とてもうれしくてすご
くすごく感謝しています。私、前のお願いで、少し言葉が足りなかったなあと思うこ
とがあります。それは、この署名は、レッツ・チャットのような素晴らしい装置を作
り、支えてくださってきた、パナソニックさんへの感謝の署名だし、それから、これ
からもお願いします。ずっと応援しています。という応援の署名だということ、もう
ひとつは、署名を通して、パナソニックさんのレッツ・チャットをこんなに多くの方
に知っていただけたよという報告だとも思うのです。私はこれからも、多くの方に
レッツ・チャットやそれだけでなく、多くのコミュニケーションエイドや伝達の方法
を、世界中の人に知っていただけるように活動していきます。だからどうぞレッツ・
チャットを作り続けてください。お願いしますということもしっかりと伝えたいで
す。

みなさん、もし、もし、できるなら、社長さんありがとう。頑張って!応援してる
よ!のお手紙や、色とりどりの可愛い絵のお手紙などを添えてくださったら、すごく
うれしいです。そうしたら、きっと私たちの思いが伝わります。そして、ぜひ、その
ことを署名を広めていただくときや署名をしていただく際にお伝え願えたらと思いま
す。本当に叫びたいくらいに思います。パナソニックの社長さんありがとうございま
す。それほど売れる家電ではないレッツ・チャットを支え続けてくださっていること
すごいことです。レッツ・チャットのおかげで、宮ぷーの今があります。本当に感謝
しています、命の恩人なのです。レッツ・チャットをこれから広めることが恩返しの
ひとつになるのじゃないかとも思っていますって、叫びたいくらい思うのです。みな
さん、このことをどうぞ書いてください。よろしくお願いします。

本当にいつもいつもあとで言葉足らずだったなあとか思うのです。ごめんなさい。


二日後あたりから、署名が私の家に届き出しました。最初「どのくらいの署名が必要
ですか?」とメールで尋ねられて、私は何もわからなくて、でも、自分ではすごく大
きな数だとわかっていたけれど、「一万名の方に署名していただけたらなあと思いま
す」と言いました。続々と署名が家に届けられ、メールや他の方のホームページなど
で、レッツ・チャットの署名活動が、波のように広がっていきました。そして、その
ことで、うれしいことが起きてきました。署名を集めてくださったみなさんは、まず
レッツ・チャットって何かということを知らせなくちゃならないと考えてくれまし
た。

(中略)署名が始まって、本当に多くの方が、ご自分の時間を割いて、署名を集めて
くれました。そこには、いくつものドラマがありました。
 Sassaさんからのメールです。
・・・・・・・
かっこちゃん、いつもありがとうございます。私も小さな力ですが、今こそ恩返しと
思って頑張ってますよ。昨日は私、かっこちゃんや宮ぷーのおかげで、すごくよいこ
とができました。職場へ用紙を持って行って、署名活動をしながら、宮ぷーやかっこ
ちゃんについての話をしていました。そこへ上司が登場。

何かにつけて、粗探しをして、私たちをいじめる嫌な上司です。しまった、みつかっ
ちゃった、何か言われる・・・覚悟を決めよう。昼休みのことまで文句言われる筋合
いじゃないし・・・堂々とやるだけ。上司が「何してる」と案の上言いました。「重
度の障害の人のコミュニケーションツールがなくなってしまうので、存続の署名集め
てます」みんなシーン。中には逃げ出す人まで。ところが、その上司、話にくいつい
てきました。思わず宮ぷーの決意のフライヤー(ちらしのことをフライヤーっていう
のですね。知らなかった。かつこ注)を手渡しました。上司さらにくいつき「もっと
くわしい資料持ってないの?」とのこと。それから上司が話してくれました。信じら
れんかったよ。あの意地悪上司にこんなナイーブで優しい内面があったなんて。

息子さんが交通事故で宮ぷーのような状態になり、今も話せないらしいのです。思わ
ずかっこちゃんに連絡してみて。必ず息子さんと気持ちが伝え合えるようになります
なんて言って上司の手をにぎっちゃいました。「きみ、素晴らしいね。署名、僕も協
力させてもらうよ」かっこちゃんすごいでしょ。かっこちゃんに感謝。署名に感謝。
レッツ・チャットに感謝。「周りにいたみんなは奇跡の出来事として長く歴史に残る
よ」なんて言ってくれて、今日は思わず一緒に飲みに行きました。これから上司は私
たちの味方です。えへへ、報告終わりです。
・・・・・・・

レッツ・チャットの署名活動は、まだ、レッツ・チャットなどのコミュニケーション
エイドを知らなかった方にも、その存在を知らせてくれる結果になっていったので
す。
スペインのモリコーニ直美さんが、友達のかおりさんに、署名をお願いしてくださっ
たときに、かおりさんからモリコーニ直美さんに届いたメールです。
・・・・・・・
「あああああああああああああああああああ・・・・・・・・どうしてどうしてどう
して、祖母が亡くなった後にこれを目にしてしまったのでしょう、涙が出そうです。
私は探すことが得意だったはずなのに、これが欲しい欲しいって頭で思って居たのに
(何十年もです) 何故見つけれなかったのでしょう。本当に悔しい。。。

実は祖母の体調が悪くなったとき(脳梗塞でした)ずーっと昔に見たドキュメンタ
リーが常に頭にありました。そのドキュメンタリーは体や口が動かせない人の目の前
にスクリーンがあってその方の目のフォーカス先にある文字が反応し、文章化できる
という優れた技術のある機械のドキュメンタリーでした。私はずっとそれを祖母にあ
げたくて、見つけ出せれなくて結局、子どもが白いボードに書いて遊べる物を買って
みたり、色々していたのですが結局それは、弟の子どものおもちゃになり・・・この
商品を知っていればもっともっと私と祖母の意思疎通が出来たはず。本当にそう思い
ます。この署名運動に人より前に出るつもりで参加させていただきます。喜んで他の
方にも転送します。祖母が体調を悪くした10年前に気づいていれば・・・良かったの
にとも思いますが、イタリア語で言うと、meglio tardi che mai ですね。ありがと
うございました」
・・・・・・・

私は、かおりさんのメールを読んで、とても不思議な力が、私たちを応援してくれて
いる気がしました。そのときは、おばあさまは思いを伝えられなかったかもしれない
けれど、一生懸命方法を探し続けていたかおりさん。宮ぷーが倒れてから、気持ちを
伝えあう方法をずっと探していた自分と重なって、涙が出ました。そして、モリコー
ニさんが、つないでくださったかおりさんのおばあさまも、きっと、誰もが思いを伝
えあえるようになったらいいと、きっと応援してくれてる。いっぱいのいろんな方が
応援してくれているから、だいじょうぶだいじょうぶ・・・そんなふうに思えたので
す。

レッツ・チャット存続の署名が家に帰るといっぱい届いていました。お一人お一人に
お願いしながら集めてくださったことが、封筒をあけるたびに感じられて、鳥肌が
たったり、涙が出たりしながら、作業をすすめています。
 私も、愛犬のいちじくと凜と散歩しながら、署名をお願いしたり、心当たりのとこ
ろに、出かけたりしました。「署名で、うまくいった話は聞いたことがないなあ」
「無駄じゃないか?」と言いながらも、署名をしてくださる方もおられました。それ
から、「住所や名前は知らせたくないなあ」と断られることもありました。シュンと
しそうになるけど、でも、みなさんが、同じようにして署名を集めてくれていること
を思うと、やっぱり胸がいっぱいになるのです。

 そのころ、宮ぷーが僕にできることはない?なにをすればいいの?と言いました。
どうぞ、宮ぷーだからこそ、伝えられる言葉を伝えてと言うと、たくさん言葉を書い
てくれました。
「レッツ・チャットが使えるようになってできるようになったことは?」と私が聞く
と「ありがとうのことばがつたえらられるようになった」と言いました。優しい宮
ぷーらしい言葉です。自分のつらいところ、痛い場所を伝えられるようになったとか
そういうことかなあと思ったのに、涙が出ます。「レッツ・チャットがなかった
ら?」と聞くと「レッツ・チャットがあるからいまのぼくがある」「レッツ・チャッ
トがなかったらぼくのじんせいおわ…

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プロフィール

キチガイ医

Author:キチガイ医
平成25年4月よりTokyo DDCとNPO法人薬害研究センターを設立、平成28年1月からはうつ民のセレクトショップや無料メルマガもやってます(詳しくはリンクをご覧ください)。薬の減薬や断薬、支援施設運営や、執筆や啓蒙活動を通して、自分の素人的意見を発信していければと思います。当ブログはリンクフリーですが、リンクするときは一声おかけください。

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