知識は肥大化し自己正当化の鎧となる

これはFBをやめる宣言ではありません♪。


昨今のFBのつまらなさは定期的に書いているところですが、その一番のつまらなさは教科書なんぞに書いてある知識の披露が多く、それをまたありがたがる意味不明な人々を見ることで、ますます疲労していくことにあるのかもしれません。これまでFBで7年近く多くの情報は提示してきましたが、基本的な情報はすでに提示されていて、情報など集めても無駄な段階となっています。

またFBでは多くの人の多くの意見を見ることができますが、違う意見に対して露骨な反応を示すものがほとんどです(結論ありきの業者や工作員は論外として)。それが平静を装ったり論理性を装っていても同じで、奥の性根のようなものが透けて見えてきます。自分にとって不都合な情報を見たり、不都合なことを書かれるとすぐにブロックする人、ブロックするぞと大声を上げるタイプの人も精神性の弱さが浮き出ています。

このような人々は一見するといいことを言います。そして常識的なことを書くことも多いですし、自分が信じているものを詐欺師だとかインチキだとか、宗教だとか言ったりすることがほとんどですが、本当に自由な人はそんなこと言ったりはしません。このような人々は抑圧や支配および家庭関係や人間関係に、深いトラウマや思い入れがあって、平静を装っていることがほとんどです。ここは私の経験則でもあります。

そうすると、そのような人々は知識を集め自分の鎧をまとうようになります。自分は間違っていないと思い込みたい、認めてほしいという願望が入り込んでいるからですが、それは実は真実欲求や向上思考ではなく、それらを装っていることが問題なのです。これを瞬時に観察するのは私のような仕事をしている人間にとって、基本でありまず求められる技法技術です。私自身はもう医療・食・放射能・政治・陰謀論その他情報を、お腹いっぱいで見る気がしません。

このような行動をとる人は往々にしていい人だとか、親切な人だとか見なされていますが、実はそんなことはありません。そして間違っていないと思い込みたい、認めてほしいという願望が入り込むのは、幼少期の親子関係だったり人間関係、またネット弁慶だったり狭い世界に入り込んでいることが多く、自分と意見が同じものとしか接さなくなるため、宗教や信者や儲けを否定しながら、自分が宗教化していることには気付きません。

そうやって考えると宗教などというものは、人間世界のすべてにありふれた行動であることが観察できます。私はいわゆる宗教は嫌いですが宗教的だと言われています。それは多くの人が私を見たり関係したり応援・アンチがいることと、既存の情報や知識とは違うことを言っているからでしょう。まあ、どう扱われても仕方ないですが、少なくともそこに後ろめたさはありません。自分では自分の信じていることとやりたいことをやっているので。

患者や患者家族対応もそうですが、FBのそんなシーン=人間界の必然を見続けるにつけ、虚無主義者の内海がさらに虚無主義者になるのも当たり前でしょう。虚無主義者でなければ現代医学から栄養学および、化け学であっても物理学であっても、歴史であっても陰謀論であっても科学そのものであっても、みんなインチキでテキトーだということを考えたりはしません。価値がないことが価値であり、そこから医者の医者卒業思考が生まれます。

虚無主義者の医者は、科学や研究や論文など微塵も信用しません。集めるだけなら簡単なものですが、それはすべてバカな根拠主義者と話すための、まさに子ども向けガキ向け対策に過ぎません。第一に楽しくないし現実に沿っていません。左脳だけを使う人間が能力開発できず、枠を飛び越えることができないのに似ているかもしれません。そもそも人間界ごときに真実も理想もあるわけないです。

真のお金持ちはFBなんてやらないとよく言われていますが、確かにそうだと思います。私は貧乏人で反逆者がどうやって情報を伝えるかを模索する為、FBを使いヘビーブロガーになりましたが、FBより実務の方が圧倒的に忙しい毎日です。診療もそうですが講演から著作から、複数の会社の運営が忙しいので、FBなんぞやめたいくらいとも思います。まあ、それだと初心の目的に反するので実際にはやめないのですが・・・。

ともあれ都合6つの会社が動いており、来年はアジア圏の複数の地域に行くのが増えると思うので、目新しい情報を書くことは減ると思います。それよりは自分が楽しくやりがいがあると思ってやっていること、海外のことを含めて状況報告するほうが、見ている人も楽しかったり学びになるのかと思っています。そこに興味がある人が見てほしいし、知識で正当化ではなく実務で影響を与えたい人が、絡んでもらうとうれしいと思っています。
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科学または知識の階層的位置について

知識から知恵、そして叡智へ


私は、科学とは、極めて強力な道具であると認識しております。その一方で、少なからぬ人々が、単に道具に過ぎぬ科学の、賎しき下僕に墜している様も、しばしば目の当たりにしております。
科学という語を、金や権力に置き換えても全く同じです。それら道具を崇め、信仰するその先には、人の幸せなどありよう筈もありません。私達ヒトは、自ら創った道具に仕えるべきではありません。道具は道具として、それを発明してくれた先人と、道具それ自体に対する感謝と共に、賢明に、そして謙虚に、用いるべきなのです。用いる、という語さえ不遜でしょう。肖る、が適当かもしれません。アヤカル。お陰様。感謝。それこそが、人の唯一無二の宝なのですから。
知識は非常に重要です。しかし、知識は所詮道具に過ぎません。道具を扱うには知恵が必要です。しかし、知恵は悪用も出来ます。知恵を善く使うのは叡智です。つまり、初めにあるべきは叡智。知恵はその次。科学は最後です。
叡智とは、万人の幸福への志向と考えられます。しかし、人類は未だ幼い。自らの幸福を定義できていない。それならば、これから定義すれば良いだけのこと。これは、取り組むだけの価値のある課題です。個人的幸福の実在は否定できません。しかし、果たして普遍的幸福なるものが在るや否や。私は、在る、と予想します。根拠は、ヒト集団の「笑い」のセンスの共通性です。
人は笑います。何故でしょう。これは大きな謎です。物理的には横隔膜の間欠的な痙攣発作。しかし、人の笑いとは、物理的な定義を超越した神秘の現象です。人の叡智の謎は、笑いの謎に通じているに違いないと、私は考えております。

No title

すみません(エクスキューズミー)
うつみんは、
肥大化した知識で、自己正当化をしていますよ。
ということ?
と、思ってしまいました。

知識を広げようとすることは良いことだろうと思うし、
自己を肯定的に見ることは当たり前のことだと思うのだけど、何故、悪いことのように聞こえるんだろう?と思いました。

そして、
自分の得た知識だけが、どの人にとっても正当である、と思うことは、ちょっと違うのだということを思いました。
知識と、真実は違うものだし、真実さえも確定的なことではないと思うので。

No title

大麻などのカンナビノイド類になぜ依存するのか研究が盛んです。精神依存性も身体依存性も示されていない大麻の使用率がなぜ高いのか。動物を大麻依存にさせる試みが研究されています。

つまり、抗うつ薬に依存性がないと言っても何の根拠もないということなのです。大麻の依存性に根拠がないのだから。

先生のクリニックは断薬と言われていますが

初めまして先生に見て頂きたいと
思っていましたが病院にゼプリオンがないって言われました。
そうした場合みてもらえないか 違う薬になるのでしょうか

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No title

大麻の依存性の根拠がないとかここまで来るともうウケるw。精神依存性も身体依存性もいっぱい示されてるしw。
プロフィール

キチガイ医

Author:キチガイ医
平成25年4月よりTokyo DDCとNPO法人薬害研究センターを設立、平成28年1月からはうつ民のセレクトショップや無料メルマガもやってます(詳しくはリンクをご覧ください)。薬の減薬や断薬、支援施設運営や、執筆や啓蒙活動を通して、自分の素人的意見を発信していければと思います。当ブログはリンクフリーですが、リンクするときは一声おかけください。

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