人に教えることとお金の対価について

情報ビジネスについてFB上でグダグダやってたので書いておきます。

FBのアカウントが止まっている段階で、他人がもめてる問題に真面目に書くのもどうかなと思ったのですが、結局みんなもめて枝分かれするし、意見を聞かれるので自分の意見は書いておきます。私は自分がやっている通りですから、自分が持っている技術や情報を教えて、自分がかがけている料金設定や自費診療設定でお金をもらうことに、特に後ろめたいことはありません。それが嫌な人は来ないなり裏で悪口言っていればいいだけでしょう。

問題については深入りしたくありませんが、情報ビジネス問題の基本は横に置いておいて、話的におかしいと思うところがいくつもあるので書きます。正直に言えば、歯医者として応援してきて、本そのものにも関わってきた鹿医さんに、問題があると思っています。といっても、別に鹿医さんに喧嘩を売って対立したいわけではないことは、ご承知おきいただきたいです。はっきり書いた方が分かるかもしれない人だから、書くと思ってもらえれば結構です。

まず、コメント欄の信者ぶりは置いといて、誰かさんが書いていたコメントで的を得ているなと思ったので、それを一部活用させていただきます。相手に会っているわけでもないのに、「人の弱みに付け込んだ健康情報ビジネスをしている!せこい人間だ!」などという誹謗中傷・印象操作記事を書いて拡散するのは、どう考えても鹿医に非があると思います。そもそも○○がオリジナルの情報を発信する場をどこで設けようが、あるいはそれをただにするか有料にするかは自由でしょう?という記事です。

高額のものは聴講者たちだっていろいろ財布と相談して決めるもの、価値がなければ集まらないだけでビジネスもそんなに甘くはありません。それに「医療健康に関する情報はオープンな場で無料で公開すべきだ」というのはただの鹿医の理想論だというのもまっとうな指摘で、それができない人間は卑しいというのは勝手な解釈だというのもまっとうな指摘、さらにいうなら、情報(技術も?)が人のためであり、これを無料がいいというなら、医療行為も歯科行為も究極無料でやればいいことです。

さらにいえば、こういう人々は自分の恨みつらみを重ねて、自分が信じている領域を正当化するために、自己領域世界(たとえば栄養学)のお金を得るビジネスは肯定し、それらを否定するという行為を行い、それは他人から見ると卑怯極まりありませんが、自分は卑怯ではないと装うのが得意です。この人たちには自分が正しくて相手が間違っていて、優位性を保ちたいという心理しか働いていないのが、やり取りの一つ一つを見ているとよくわかります。根源的な目的意識が低いと言えるのかもしれません。

しかし事の本質はおそらくそこでさえないでしょう。食論争の不毛というずっと言われてきたことでさえないでしょう。この情報ビジネスはダメで無料が素晴らしいと、無料媒体=FBで宣伝することによる本質的目的が、自己のアピールと自己ビジネスの確立にあることに対して、二重隠ぺいを働いていることにこそあります。つまり誰かの情報ビジネスを否定し、私はタダで情報を流しますよと言うことによって立場を得て、それを何かに還元しようとします。この場合社会的立場もありますが、それは第一義ではありません。

その一義は簡単な話であり、自分の直接的なビジネスです。診療に人が来る、本が売れる、講師の地位を高める、顧問講師的な役割をするということです。砕いて言うなら情報弱者とは、「ああ、こんなにタダで情報をくれるスバラシイ人なんだ、この人ならきっと私にとっていい治療をしてくれるかもしれない」という心理を逆手にとって、ただほど怖いものはないを真の意味で実践して、あとでクリニック収入に還元してくるのを見越しているということです。こんなの真剣に経営を長年やってれば、誰でも見抜ける問題でしょう。

こういう人たちはいつもお金に対して、心のブロックのようなものが存在します。言い換えると非常に不正直なのを、二重三重に隠すということです。ホントに欲しくないならビジネスやお金をとるようなことはしなければいいと、素人が言うことに追従すればいいでしょうし、どこかでちゃんとお金を儲けてそれをごまかす。お金が必要ならそういえばいいし、欲しいならそういったほうがよほどましです。情報はタダがよく治療技術は高い金払えとか、ダブルスタンダードも甚だしい。人のため、業界のため、日本のために、無料でボランティア診療でもやればいいのに。きっとあらゆる人に信じられて教祖になれるでしょう。心理学を学んでいればこんなの容易に透けて見えてしまいますね。

私のように医学は学んでも否定的で、栄養や電子や古典医学を学び、心理学的な要素を一番研究する人間にとっては、その人の知識などはまったく意味がない無価値な問題です。それをオカルトだと言われても別にかまわないし、科学の無意味さや嘘を認識した中で、人間として完璧でなくてもできること、自分が楽しいとか意味があると思うこと、それを提供して対価をもらうことしか興味はなく、さらにいえば、お金も情報も技術もボランティアではなくて、自分が身に着けた努力の対価であったり、学びに来る人の真剣さの対価であるとしか思っていません。逆もまたしかりで、お金を払ってきたい人はピンからキリまであるのだから、選べばいいだけのことです。それは宗教の一言で片付く問題でしょうか?

昔、ある人が清貧の良さを主張してそんな生活をしてましたが、ちょっと裏をたどると金銭欲求が非常に強いということがありました。今回のどーでもいいネット騒動を見ていると、同じパターンにしかみえません。それを見て私がいえること、それは知識を出している人々にも醜い心があって、それらの知識をひけらかしているのにも皆相応の理由があって、それらを見ている人が見透かせるように洞察力を高めることなのかもしれません。私は家族や親密な人と豊かになれるように、お金を自分で否定したくはありません。そして人はいつも「タダほど怖いものはない」と言い聞かされているのに、ちょっとしたことですぐに揺らいでしまう生物なのです。
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お金と言語の関係について

情報やサービスへの対価は、純粋かつまっとうな市場の論理に従って、当事者間で決められるべきものと考えます。それは無料であっても何の問題もありません。しかしこの場合、あくまでも供給側の自発的意志に基づくものであるべきです。この意志は、外部から如何なる強制も受けるべきではないことは当然です。仮に強制されても従うべきではありません。従えばそれは奴隷労働を是認することになってしまいますから。お金に関しては、私はそれを言語の一種として理解しております。具体的には「ありがとう」という意思表示としての言語です。自分では解決の難しい問題を解決に導いてくれた他者に対する感謝の意思表示を、お金という言語を用いて表現するわけです。私は、お金にはこの言語的機能だけがあればそれで充分であると考えます。お金それ自体には善悪の属性が全くありません。汗水流して稼いだ金も盗んだ金も、金それ自体の素性は判別不能です。だから、だからこそ、私はお金の機能を「感謝の意思表示」としての言語機能に限定して捉えたいと考えるのです。

現代文明における淘汰について

少なくともフライフィッシング以外の釣りを趣味とする方々にとっては当たり前でしょうが、釣りには餌が必要です。餌に吊られて魚が針に掛かる。それを釣り上げる。この場合、餌は無料の情報。魚は、情報提供者の新規顧客です。釣り上げられた獲物は、徹底的に収奪されることでしょう。無惨なことです。しかし私はその犠牲者に対して一片の感情をも持ち得ません。ただ「ああ馬鹿が食われた」と思うだけです。文明社会のサバンナでは、知識の非対称性は致死的な結末に直結します。しかし、私はそれで良いと思うのです。地球はあまりに小さく、馬鹿はあまりに多い。馬鹿が減る事は地球の利益にかないます。

「学問のすすめ」

お金が欲しければ「学べ」とはこの事ですね、図書館なら学費も要らず無料で学べます。

社会人として対価に見合った責任有る、、を!

今詐欺師や口先八丁の輩もおるかもしれま半
欺され無いようちゃんとチュー胃してそういう輩は、録なことして奈胃くせに鐘だけはらシッカリ無死利都利マスタードガスそして以外と案田田会難極当たりに胃住したりしてるかーも菜
プロフィール

キチガイ医

Author:キチガイ医
平成25年4月よりTokyo DDCとNPO法人薬害研究センターを設立、平成28年1月からはうつ民のセレクトショップや無料メルマガもやってます(詳しくはリンクをご覧ください)。薬の減薬や断薬、支援施設運営や、執筆や啓蒙活動を通して、自分の素人的意見を発信していければと思います。当ブログはリンクフリーですが、リンクするときは一声おかけください。

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