治療家の覚悟のなさ
今年一番くらいどうしようもない話。
この世界に生きているとホントに口だけの人間しかいないということがよくわかる。この世界で相手を否定したり、自分とは違う手技、違う技術を否定して自分は素晴らしいということは、それなりの覚悟が伴うものである。私も現代医学を批判し現代の生き方や考え方、現代の政治を批判している以上、私だってそれなりに覚悟を持ってやっている。
癌治療や三大療法を批判する以上、私は自分が癌になっても三大療法はまず行わない。本に書いてある通り手術するとしても、腸閉塞や出血など救急に準じる場合だけだろう。癌以外でもそれはそうである。自分ならいいが自分の家族が精神的な問題を生じた時、精神薬を使ったり精神科治療をするなどというバカなことをするわけがない。
自分で治すすべを知っているから言えることではあるが、自分が何かの病気になったとしてやろうと思う技術があるから、他者を批判できるのである。それが最近、西洋医学批判の論調が強くなってくると、自分が矢面に立っているわけではないのにそれに追従し、西洋医学批判をしながら自分がちょっとでも困ると西洋医学を利用する、そんな人しか見かけなくなってきた。
鍼灸師や整体師が整形外科を否定しながら、ちょっと自分が悪くなれば整形外科を利用し文句を言う。ホメオパスやアロマテラピストやハーバリストが、自分を治すこともできず西洋医学以外のことを提唱する、そんな輩ばかり。そのような人々が他人を治療したり他人を触ったり、他人の相談を受けるなどありえないことである。
よく勘違いしているセラピストの輩は、自分が病気になったり自分の不安定を、経験や糧にして患者に還元しているとうそぶく。なんという嘘つきなのだろうと思う。その人は自分の病気の予防もできず、自分の病気の治療もできないのに、人に対しては平気で治療を行うふりをして、かつ自分の技術がすごいとか他者の技術は低いかのように言うのだ。
私は誰に何を言われようがこのような人たちは信じない。それがいかに極論だと言われようがなんだろうが、覚悟がない人とは付き合う気はない。西洋医学であっても日本の食事情であっても政治であっても、そんな輩たちが何千人集ったって何も動きはしない。この世界に私は話が合う人など一人もいないのだと、あらためて確信した一日である。
この世界に生きているとホントに口だけの人間しかいないということがよくわかる。この世界で相手を否定したり、自分とは違う手技、違う技術を否定して自分は素晴らしいということは、それなりの覚悟が伴うものである。私も現代医学を批判し現代の生き方や考え方、現代の政治を批判している以上、私だってそれなりに覚悟を持ってやっている。
癌治療や三大療法を批判する以上、私は自分が癌になっても三大療法はまず行わない。本に書いてある通り手術するとしても、腸閉塞や出血など救急に準じる場合だけだろう。癌以外でもそれはそうである。自分ならいいが自分の家族が精神的な問題を生じた時、精神薬を使ったり精神科治療をするなどというバカなことをするわけがない。
自分で治すすべを知っているから言えることではあるが、自分が何かの病気になったとしてやろうと思う技術があるから、他者を批判できるのである。それが最近、西洋医学批判の論調が強くなってくると、自分が矢面に立っているわけではないのにそれに追従し、西洋医学批判をしながら自分がちょっとでも困ると西洋医学を利用する、そんな人しか見かけなくなってきた。
鍼灸師や整体師が整形外科を否定しながら、ちょっと自分が悪くなれば整形外科を利用し文句を言う。ホメオパスやアロマテラピストやハーバリストが、自分を治すこともできず西洋医学以外のことを提唱する、そんな輩ばかり。そのような人々が他人を治療したり他人を触ったり、他人の相談を受けるなどありえないことである。
よく勘違いしているセラピストの輩は、自分が病気になったり自分の不安定を、経験や糧にして患者に還元しているとうそぶく。なんという嘘つきなのだろうと思う。その人は自分の病気の予防もできず、自分の病気の治療もできないのに、人に対しては平気で治療を行うふりをして、かつ自分の技術がすごいとか他者の技術は低いかのように言うのだ。
私は誰に何を言われようがこのような人たちは信じない。それがいかに極論だと言われようがなんだろうが、覚悟がない人とは付き合う気はない。西洋医学であっても日本の食事情であっても政治であっても、そんな輩たちが何千人集ったって何も動きはしない。この世界に私は話が合う人など一人もいないのだと、あらためて確信した一日である。
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