「 家族の中での子どもたちの役割」のコメント一覧

豊岳正彦さん

安保徹さんと犬丸勝子さんの相つぐご逝去

ザ・マイケルブログへの投稿3つ
http://blog.goo.ne.jp/iidatyann2016/e/57eefff1eea6e4bd8d505686a566ae7d?st=0#comment-form


(通りがけ改め豊岳正彦)
2017-04-28 18:15:53

このお二人はいずれもNHKにとって報道での黙殺ができない世界的な日本人業績者でした。

お二人のご急逝を悼み謹んでご冥福をお祈りします。



安保徹さんのご業績 (豊岳正彦)
2017-04-28 19:08:00
病は自分で治す

www.youtube.com/watch?v=bH6aqnR5WIM&list=PLYa2XVmiHJxqVNK7Ufp34gp23KeP1sA_E


犬丸勝子さんのご業績 (豊岳正彦)
2017-04-28 19:12:18
「偽装社会」ユーチューブ

日本は世界最悪の暗殺統制 創価の国家犯罪に直撃、不正選挙、不正裁判を追及し続けた犬丸勝子さんの突然の不審死 暗殺場所は病院 金融窃盗団のために闇に葬るための警察、検察、裁判所が葬るこれが日本の仕組み

www.youtube.com/watch?v=g2lO8xmO_gI

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豊岳正彦さん

こどもはこの世の宝

>家族の中での子どもたちの役割

まったく顛倒したタイトルです。

日本がムー大陸だった時代から日本人は以下の通りです。

山上憶良「しろがねもこがねもたまもなにせむにまされるたから子にしかめやも」

旅の夜風「かわいいこどもは女の命」

すなわち家族のために子供があるのではない。

こどものために家族があるのです。

こどものために群れと社会があるのです。

こどものために宇宙があるのです。

DSM-Ⅲでこどもを分類しても有害無益です。

愚かというも哀れなり。

南無父母無二仏 合掌

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キチガイ医さん

No title

世界で一番子どもを殺しさらい支配してきたのが、その日本人とやらですなw。常に日本人は妄想と正当化だけ一人前w。やることはいつの時代も同じw。

http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-488.html
http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-420.html
http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-417.html
http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-401.html
http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-331.html

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豊岳正彦さん

こどもとは?

>世界で一番子どもを殺しさらい支配してきたのが、その日本人とやらですなw。

多細胞生物はすべてこどもから成熟個体になる。

人間という霊長類のこどもとは何歳までか分かりますか?

それがわからなければ「日本人が世界でいちばんこどもをさらい殺した」という立論はできませんよ。

答は太陰暦の元服「数え15~16歳」すなわち太陽暦「満13~14歳」であり、定めれば満14歳までこども、満15歳からは大人と言うことです。

男女の別や国の別無く、人間のこども時代は満14歳・中学2年と生物として定まっています。

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あ*さん

“denied PTSD”=“racism”

「子どもにとって「安全な基地」であること、
そのなかで子どもが自らの「自己」を充分発達させることができること
これが健康な家族の機能であるとされています」
これは、PTSD現象学的な表現をすれば、
「人格無視をやられがちな
(0)子ども
(1)有色人種
(2)女性
が先祖代々のPTSD負の連鎖によって「トラウマの再演」をせずに済むように
「安全確保」ができる人的物的環境であること、
そのなかで、家族メンバー個々の歴史的身体が発生し、進化と終焉を迎える場(=field )」これが健康な家族生活の現場でしょう。この件は「フェミニズム」の問題ではないと昨日、コメントを投稿しました。

我が家のオヤジがDV化して自滅していったのは、
我々日本人一族が「アスぺ」だの「ADHD」だの汚い血が流れた「黄色いサル」( http://bit.ly/AsiatischeAffe )だからではありません。オヤジは、
D. M. Allen, 2010,
“How Dysfunctional Families Spur Mental Disorders: A Balanced Approach to Resolve Problems and Reconcile Relationships (Childhood in America) ”
の一読を私に奨めたので、私はそれに目を通し、順天堂大学の越谷病院に診察に行ったとき、主治医と議論しようとしたら、主治医が遮り、もう来なくていい…ということになったのでした(爆笑)。そうして私の通院は終わりました。
 この本の著者によると「アスペ」は生まれつきのもので「不治の病」扱いです。は〜アスペ〜?…勝手に決めないでくれる?…と思いませんか? ついでに、HarvardのBiermanが研究したら「ADHD」は後に「双極性障害」になるそうで、その件は、Biermanが製薬会社の支援を受けた(つまりADHDの子を薬物でコントロルして「教育」は手抜きした)結果、自己コントロールが効かない(薬物性)「双極性障害」になることを示唆しています(←ほのめかしているだけで断言はしていない)。そして、この本のキモは、「機能不全家族」が子どもを病んだ状態にするという点ですね、タイトルのとおりです。

さて、甲斐先生の記事ですか、
「子どもたちは機能不全家族を維持し続けるために役割にはまり込みそれを演じ続けることになる」
ということは、我が家では先祖代々、起きていません。
「自分自身の欲求を棚上げし、他人の欲求を自己に取り入れ、自分の欲求のようにして生きているので、自分の感情を感じることができなくなっているのです。
つまり、彼らは共依存しながら生きているので、「自己の欲望」の中身を知らなければ、自分を生きることができなくなる」
としたら、「自己の欲望」の中身など検討するのは、バカです。大概の人は単に「我意を通すこと」が「自己の欲望」の中身を検討して人生を謳歌することだと勘違いしてしまうからです。これが「機能不全家族」論の拙い点ですね。

家族メンバーの誰しもが
セルフネグレクト強要を受容しない、
セルフネグレクト強要を受容させないで済むように
互いに配慮することが「思いやりの原理(=“the principle of charity”)」すなわち
“caritas”(← “amor” ではない)です。
セルフネグレクト強要を受容させないで済むように
人的・物的環境をできるかぎり整えること
=現実的な「安全確保」に努めること
これがPTSD予防&克服への道を進むための前提です。

発達障害論者が言う「ライナスの毛布」の話ではありません。現実的な被害に遭わないように話し合うことです。例えば、
http://bit.ly/2pLDoG0
に書いたアッシェンバッハというシニアサイエンティストは心理学的なサポートをしたわけではないのです。

「専門家」ならば、
「発達障害論では更生できない」
http://bit.ly/rehabilitare
ということに気づかねばなりません。

そして、
http://bit.ly/ToiletB
の流れは「環境レイシズム」の一種であると認識し、
護衛艦「いずも」が「コバンザメ」と言われる国際情勢のなか、
海上自衛隊も現総理らの「トラウマの再演」に巻き込まれているので、
自衛官に残された道は失踪(=解離性遁走)であることを理解し、
現実的な「安全確保」をしたのち、PTSDに対処せねばなりません。
S先生の臨床知見が有効です。

どうも、お邪魔しました。

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豊岳正彦さん

子どもの天国蓬莱島

ブログ「これからは共同体の時代」から4月17日記事を転載します。
http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2017/04/5386.html

・・・・・・

結論からいうと、全然違いました。なんかすごいいいです。江戸時代のHOW TO 子育て。

■子どもは超自由に遊んでて、大人は子どもを溺愛してた
日本を訪れた欧米人から見ると日本は「子どもの天国」だったらしい!

道路でも平気で遊んでいて、ほとんど素っ裸で路上を駆け回っていたりして、人力車や馬は子どもをよけて通っていて子どもにとって「大人に大事にされるのは当たり前」だった。

「世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われる国はない」「子どもたちは朝から晩まで幸せそうだ」と欧米人の観察者たちは述べている。

そして、驚くことに大人は子どもを叱ったり罰したりすることがほとんどなかったんだって・・・!

「日本人の性格として、子供の無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大で、手で打つことなどとてもできることではないくらいである」と書いている人もいて、日本人の子どもに対する愛情は、そりゃもう「溺愛」「子ども崇拝」の域に達していたらしい。

こんなに自由に遊ばせるって、現代の価値観からすると「放任主義では?」「そんなんで躾大丈夫なの?」とか思っちゃいますよね。でも、うん、大丈夫だったみたい。

・・・・・・・

つづきはあちらで読んで下さい。

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キチガイ医さん

No title

ぶはは、このカスイ餓鬼の群れ、本気で嗤えるw。
まあ、でもネット民ごときにそんなん無理だろーな~。
表に出てくりゃ論破すんのは簡単なんだけどな~。
中二がどうとかもう教科書に洗脳されすぎwww。

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豊岳正彦さん

表に出る

表と裏というレッテルで物を言うのは明治以来の西洋太陽暦ニセ科学文学「教科書」に洗脳されすぎですな。

論破できる、というのもね。

もともと論破など何の意味も無い。

また仮に論破という行為になんらかの意味をつけるとして、論破できるというのなら表で、とか裏で、などと場所や時間を選ぶこと無くいつでもどこでも論破できるはずですよ。

表じゃ無いとできないというのならもちろん裏ではできません。

そして裏でできないことは表でも裏でもどこでもできないのです。

できることはできるしできないことはできない。

それが人間というものですから。



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豊岳正彦さん

量子力学も間違っている

アインシュタイン力学も量子力学も西洋太陽暦ニセ科学ニセ文学の所産であり、空間論にばかりとらわれて最も大事なものを忘れている。

それは時間である。

太陽暦は、万物の造物主がこの世を6日間かけて働いて作り出し、7日目を休んで安息日の日曜日と決めた。因って日曜日には仕事をしてはならず教会へ行って神の言葉を聞けというのである。

これが太陽暦の「時間軸」だが、考えてみれば、そもそも造物主がこの世を作り始めたときは太陽も地球もない宇宙も無いビッグバンも無いのであるのに、

何故地球が自転してできる一日という時間の単位がそのときに存在するのか。

西洋の科学も文学もすべてこのおかしな太陽暦の自家撞着時間軸の中で構築されている。

最初の最初に虚妄の時間軸を設定しているのが太陽暦西洋文明である。最初の基本が嘘ならそのうえに何を積み上げても砂上の楼閣であり、土台の一階が無い二階建てと同じく完成不可能である。

よって太陽暦時間軸は決して宇宙の真理にたどりつくことはできないのである。

参照:量子力学については以下の頁によくまとめて書かれている。
http://gensenkeijiban.blog.shinobi.jp/

(転載)
科学的医学の宿命 ~物質先行型の西洋思想のパラダイムに支配されている
それでもあなたは医者を信用しますか
リンク より
__________________________
科学的医学の宿命
【科学なのか、数学なのか】
じつは、科学理論には二つの種類のものがあることは、案外知られていません。一つは、じっさいの観測や実験で得られたデータに基づいて構築されるもので、もう一つは、単なる仮定、または推論を、数値や数学的な解釈によって積み重ね、拡大していくというものです。この定義によっておわかりのように、前者が本来の正当な自然科学から導き出される理論であるのに対し、後者は現実の事象から離れた、ややもすると机上の空論になりかねない、きわめて危うい性格のものです。
そしてなんと、今日主流としてまかり通り、もてはやされているのがこの後者の理論なのです。そう、もうお気づきのように、アインシュタインの相対性理論とスティーブン・ホーキングのビッグバン理論がそれです。いずれも仮定を発展させただけの、事実とは無関係の理論であるにもかかわらず、その点を表立って指摘する科学者がほとんどいないのです。
しかし最近になって、当然のことながら、これらの理論に矛盾する現象が続々と観測されるようになり、相対性理論もビッグバン理論も、崩壊の寸前にあることは先述のとおりです。
自然科学であるはずの物理学が、いつの間にか形式科学のなかの数学に成り代わってしまったのです。物理学も観察や測定を必要とすることから、数学的な要素があり、理論を記述するさい、あやふやな直感に頼るより、数式で表現したほうが正確な印象を与えることがあります。
その点で、物理学も数学も同類だと錯覚しがちですが、両者には決定的な違いがあります。それは、物理学が認知可能な対象を研究するのに対し、数学は現実的な存在には依存しないという大きな違いです。数学ではゼロやマイナスという概念が堂々と登場しますが、自然界にはそんなものは絶対にありえないのです。ホーキング宇宙論の特徴は、「虚時間」や「虚空間」が随所に記述されていることですが、そんなものは宇宙のどこにも実体として存在しません。

【ニュー・エイジ・サイエンス】
1970年代に、「現代物理学は、研究手段の限界からこの世界の現象を解明できておらず、今後も解明の見通しはほとんどない」と宣言し、アメリカを中心にいわゆる『ニュー・エイジ・サイエンス』運動を始めた少数の科学者がいました。
これらの科学者は異口同音に、「現代科学の欠陥や行き詰まりは、世界を細かく分割して扱うデカルト哲学に原因がある、また、この世には物質世界(明在系)のほかに人間の意識を含む多次元世界(暗在系)が存在し、物質世界は多次元世界がこの世に投影されたものである」、と主張しました。そして科学本来の発展のためには、意識のパラメーターを導入して多次元世界を解明しなければならず、そのような研究ができるパラダイムの確立がどうしても必要であると、世界の科学者に訴え続けてきたのです。
自然現象を探究して真理を窮めようとする、その過程でさまざまな矛盾が生じるのは、じつはこのパラダイムに問題があったのです。パラダイムとは、一つの分野における科学者の考え方の基本となっている、支配的な理論の枠組みのことです。パラダイムは一度確立されると、後に間違いが立証されても、これを変更するには長い年月がかかります。
・・・・・
こういった科学の矛盾が最悪の形で反映されているのが、じつは現代医学なのです。つまり医学は、物質先行型の西洋思想に傾倒しミクロの波動現象が人体の生理機能を瞬時に統括していることに気づかず、組織や細胞を部分的に固定して観察・分析し、局所的な処置をする、いわば生きた体をロボットとみなすこの考え方や手法が、多くの問題と禍根を残しているわけです。
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その2へ



岸良造
2017/05/03 (Wed) 近代科学 Comment(0) ▲TOP
科学的医学の宿命 その2 ~生命現象はすべて、実体のないものが作り出している現象
その2 それでもあなたは医者を信用しますかリンク
より
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【生命は空間の「ゆらぎ」だ】
ワトソンがいうこの根幹の部分こそ、ミクロ世界のなぞのことで、そこはあらゆる科学常識を逸脱する超常現象のカオスであるため、科学が暗在系として匙を投げている世界です。
ところが、そのなぞを解く鍵が、じつは『空間』というものに対する解釈の仕方にあったのです。空間とは空っぽのことではありません。アインシュタインがエーテル概念を認めなかったことは先述のとおりですが、そのために科学は空と無の区別があいまいになってしまい、むしろ空も無もまったく同じもの、数学的な表現でいうなら単なるゼロと解釈してしまったのです。
しかし量子力学は、宇宙空間もあらゆる物質の内部も、すべて空間が占拠しており、その実態は単なる空ではなく、極小微粒子がぎっしり詰まった状態であると説明しています。たとえば1立方センチメートルの物質の塊(固体、液体、気体に関係なく)のなかには、宇宙全体の星の数に匹敵する超微粒子が充満している、というのです。つまり厳密な意味での真空、いいかえれば無など存在しないわけで、空間は万物の母体であるというのが量子力学のエッセンスです。
現代医学が研究している遺伝子やDNAは、あくまで実体のある物質レベルのものです。しかしその働きをコントロールしているものの正体は、そんなマクロレベルの物質ではない、いや物質というより、それこそ宇宙全体に非局所的、同時的に遍満する波動にほかなりません。そして波動は、科学的な手段では絶対に観測や計測できないのです。
ヒトゲノムをすべて解読するという作業は、とくに実用的な意味があるわけではありません。また、たとえいつの日にかそれができたとしても、予想だにしなかった障壁が出現する可能性は十分考えられます。遺伝子の解明などというと、いかにも科学的なムードいっぱいの、楽観的な希望を抱かせるような響きがありますが、実際問題としてそんなものは早晩壁に突き当たり、「新たな問題が生じた」、「もっと研究を深める必要がある」などといって、適当にお茶を濁すことになるのは目に見えています。
・・・・
いよいよ結論です。簡単にいえば、生命は物質の根源のまたその根源から生じてくるものです。私たちが健康体でいられたり、病気になったりというさまざまな人体の現象も、物質を通り超えた、いわば形而上の世界からの「ゆらぎ」の発生と深くかかわっているのです。「ゆらぎ」とは、量子力学的にいえば粒子と反粒子が対生成・対消滅している、それによって生まれる空間エネルギーの状態をいいます。ようするに生命現象はすべて、実体のないものが作り出している現象であり、もともと、西洋思想の科学的機械論で太刀打ちできるものではなかったのです。
フィルヒョウの細胞理論、メンデル・モルガンの遺伝理論がその科学的思考の典型であり、これらの理論を医療の根拠としている限り、現代医学は宿命的に、永遠に病気を克服することはできないでしょう。この厳然たる事実に背を向け、危険極まりない毒(薬品)や放射能(放射線)やメス(外科手術)で生命を脅かしたり、しばしば抹殺さえしてしまう現代医学にたいし、私たちは断固として決別を宣告すべきであると考えます。
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岸良造
2017/05/03 (Wed) 近代科学 Comment(0) ▲TOP

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豊岳正彦さん

佛教は太陰暦である

仏教聖典から。
https://sptnkne.ws/es3f


仏教聖典おしえ第一章因縁第三節第三項 (華厳経)

 この世の中には、三つの誤った見方がある。

もしこれらの見方に従ってゆくと、この世のすべてのことが否定されることになる。

 一つには、ある人は、人間がこの世で経験するどのようなことも、すべて運命であると主張する。

二つには、ある人は、それはすべて神の御業(みわざ)であるという。

三つには、またあるひとは、すべて因も縁もないものであるという。

 もしも、すべてが運命によって定まっているならば、この世においては、善いことをするのも、悪いことをするのも、みな運命であり、幸・不幸もすべて運命となって、運命のほかには何ものも存在しないことになる。

 したがって、人びとに、これはしなければならない、これはしてはならないという希望も努力もなくなり、世の中の進歩も改良もないことになる。

 次に、神の御業であるという説も、最後の因も縁もないとする説も、同じ非難が浴びせられ、悪を離れ、善をなそうという意志も努力も意味もすべてなくなってしまう。

 だから、この三つの見方はみな誤っている。

どんなことも縁によって生じ、縁によって滅びるものである。

(A6文庫本p45)

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