植物の食としての本質

これ、大麻もおなじなんだが難しんだろうな。

動物愛護の問題は極めて偽善的な要素をはらんでいますが、現代の動物に対する対応が著しく自然界を損なっているのは確かです。しかしだからといって人間の生物学的本質を、歴史を無視して解釈するのも、生物学を無視して解釈するの間違いでしょう。古来、人は雑食であり肉も魚も植物も食べてきました。先住民は健康で、日本の肉食禁止令が嘘なのは調べればすぐに出てくることです。

つまり狩猟して古くから猪を食べたり鹿を食べたりすることはあるし、熊胆は熊を狩猟して取れるクスリです(最近は獲り方が酷いらしいですね)。人間は食物連鎖上は頂点に位置し自分は食べられない存在になっています。その傲慢から飽食の時代に動物愛護に発展しましたが、それは著しく自然の摂理を壊しています。といって今の肉食はすべて自然の摂理をまた壊しているといえます。

では草食派はどうかというと、肉を食べるのは穢れで植物を食べるのは浄化といいます。どれだけ傲慢なのだろうと思いますが、そんなことを考えたこともなければ、決して認めさえしないのが草食派の特徴です。えてして草食派は野菜や野草などは人間に食べられたがっているとかいいますが、植物に植物毒があるのはすべて動物に食べられないようにする、植物自身の工夫です。

つまり野菜や野草を食べるとき、植物は身体を引きちぎられ涙を流しながら抵抗してますが、それを草食派は動物がかわいそうで、植物はかわいそうではないといって食べます。これは宗教の概念に通じています。宗教では信者に対しては身を清め精神をきれいにと教えますが、宗教の教義やその教団存在がおかしいことは決して教えません。流行るのは人間の潔癖主義を利用しているからです。

確かに植物には潔癖を満たしてくれそうな浄化的要素がありますが、逆に言えば浄化ばかりするような薬を毎日飲んでいると、ニンゲンはあらゆる意味で浄化されることに通じています。浄化は言葉であるにすぎず浄化というより出すということであり、玄米採食がどの病気を治しどの病気を治さないかに通じています。生物毒を生かすことで病気を治しているわけです。

栄養学や既存の科学ではこの生物毒を利用できるものとし、やれ癌に効くだ膠原病に効くだいろいろ言いますが、それを日常的に摂取することは危険を伴います。つまり医学と栄養学的に言うなら、玄米採食に代表される食事法はまさに薬(草かんむり)ですが、たとえば食事法であっても薬を飲み続ければ人は弱ります。玄米採食は病気の時に一時的に採用する食事法です。

しかもそれは玄米採食が効果的な病気と、効果的でない病気に分かれます。ひとつ研究ではなく経験を書いておきましょう。犬はオオカミの親戚で肉食が基本ですが、ある犬は自分が癌になってから肉を食べるのをやめ、出された玄米菜食を本能的に食べました。そして癌は消えたそうですが、癌が消えた後は玄米採食に見向きもせずまた肉食中心の食事に戻ったのです。

ま、妄想とお考えください。
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確かに引きちぎられています

少なくとも殺処分、駆除という言葉のある国に、草食派、ましてナチュラリストはいないです。動物と共に生きている遊牧民族とか、そんな人たちと一緒にいる動物や植物は、幸せそうです。日本で、草食派や、ナチュラリスト(という人が一番矛盾してる)という人、人間は、人工で、他の植物や動物、自然に失礼ですよね。
プロフィール

キチガイ医

Author:キチガイ医
平成25年4月よりTokyo DDCとNPO法人薬害研究センターを設立、平成28年1月からはうつ民のセレクトショップや無料メルマガもやってます(詳しくはリンクをご覧ください)。薬の減薬や断薬、支援施設運営や、執筆や啓蒙活動を通して、自分の素人的意見を発信していければと思います。当ブログはリンクフリーですが、リンクするときは一声おかけください。

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