易学の基礎

以前書いたものを忘れていたので保存。

私は別に易学者じゃないのですが、東洋思想や東洋医学を学んだ身でもありますので、その視点から易学の基礎について書いてみましょう。易学の原典は易経といわれ、中国では黄帝内經、山海經と合わせて「上古三大奇書」といいます。儒教の基本書籍である五経の筆頭に挙げられる経典でといわれ、ちなみに日本古方東洋医学の原典は、傷寒論と金匱要略です。神農本草経も薬草聖典の一つとかいわれたりします。

易学の考えでは「易は一名にして三義を含む」といい、変易、不易、簡易の三つの意味を指します。これらは矛盾しているように見えて本質を表してもいて、たとえば人間はどんどん老化していきますが(変易)、自分は自分です(不易)。また易には八卦とか六十四卦という言葉が出てきます。伝説では伏羲が八卦を作り、それを重ねて六十四卦としたといわれ、国や個人の占いに使われるようになりました。この時代の占いは命にもかかわる重要な位置づけでありました。

八卦の順序には「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」と、「乾・坤・震・巽・坎・離・艮・兌」の2通りがあるそうですが、これを先天図と後天図というそうです。また私は占い師ではありませんので、これらを使う占いの細かいやり方には興味はありません。ただこの八卦もまた五行論、四大元素などとともに、世界を構成する最も基本的要素として、参考になるだろうという考えから、部分的に採用しているだけです。

ちなみに八つの要素は最初「天・沢・火・雷・風・水・山・地」だったともいわれており、これが転じて天 = 乾、沢 = 兌、火= 離、雷 = 震、風 = 巽、水 = 坎山 = 艮、地 = 坤となったともいわれます。自然は八つの現象にわけられ、それが派生して八卦から六十四卦になるわけです。また八卦は五行とも共通点があり、これらは八卦一覧から読み取ることができます。また五行だけでなく人間関係、体の場所、方位、数字などとも関連し、皆さんご存知風水の考えにも通じてきます。

また易は二つと四つにも分けられます。古典所いわく「易に太極有り。これ両儀を生ず。両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず」とあり、陰陽論と通じてきます。四つに分けるものを四象とよび、老陽(太陽)、少陽、少陰、老陰(太陰)と分けたりします。 たとえば老陽は夏、老陰は冬、少陽は春、少陰は秋になります。乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤だと、三つの陽でが形成される乾、二陽と一陰で形成される兌・離・巽、一陽と二陰で形成される震・坎・艮、三つの陰で形成される坤に分かれます。

易学をみる上でまず卦と爻を知る必要があります。卦は爻と呼ばれる記号を3つ組み合わた三爻によりできます。爻には─陽(剛)と--陰(柔)の2種類があり、組み合わせにより八卦ができます。八卦を2つずつ組み合わせることにより六十四卦になり、これはフラクタルに考えればよいでしょう。これにより先ほど言ったように生まれ、性別、性格、陰陽、色彩、人間関係、体の場所、方位、数字などを読みとれると考えるわけです。

私は占い師ではないので占いはしませんが、これを相手を判断する時に利用します。ここから先は一医学者の我流ですので、てきとーに聞き流してもらえばOKです。風水などで占いをする人でも、似たような考え方で見る人もいれば、全く違うというふうに考え批判する人もいると思います。それは勝手に自分たちでやってもらえば良いです。この判断の仕方は陰陽五行論にも通じますが、西洋占星術にも通じます。

この八卦一覧を参考にすると、たとえばその人が現在父なのか娘なのかで属性が違うと判断します。また同じ父でもどういう父になりやすいか、違いが生じるとも判断しますし、動物でいうとどんなイメージに近いのか(動物占いに近い?)、味は何を好むかとかどの味がその人に良いか(五行論に近い)、色は何が合うか、数字は何が合うか、などが見えてきます。ただし当然ながら「当たるも八卦、当たらぬも八卦」です。

たとえば私は12月9日生まれで、易数でいうと天や沢になるのでしょうか。父で今のところ健康でこれは天に属しますが、首は若干凝りやすく固い、馬になっていますが動物占いはペガサス、五行は金で辛みですが肺が若干弱く甘いものは嫌いで辛いものが好きです。ちなみに天=乾ですが、確かに私は皮膚が乾き気味で精神も乾き気味の人間であり、いかにも陽証で、冬が好きでウィンタースポーツが好きな人間で、方角は西北、貴人運に恵まれているということになるでしょうか。大分当たっていますね。
治療や人生の変化に応用したいときは二つの考え方が出来ます。一つは自分の傾向(八卦の何に自分が属しやすいか)を考え、それに一致したものを考えるか、状況が悪い時や場合によっては反対の方角のものを求めるようにします。風水表だけで見ると自分の領域だけでなく、財産運を求めて動き植物や緑を求めて動く、南東に向かって動けばよいかもと場合分けして考えますが、有名な割に貧乏な私は来年からビジネスをしっかりやろうと思っていますし、自然農などについてもこれまでやり取りが多かったですね。

ま、これは高度な占いの人とはレベルが違う初歩的判断ですが、こういうのを使うと結構参考になるので考えてみるのもいいと思います♪。

易学の話をする時は、四柱推命だとか九星占星術なんて言葉を聞いたことがあると思います。これも五行論の応用であり八卦の応用であるともいえます。通常占星術的には生年月日で判断し、本命から判断するのと月命をみるものに分かれるようです。これは陰陽見ているともいえますし、西洋占星術では太陽と月のホロスコープを見ているのと似たようなものです。本命は生まれ年から割り出すのが基本だそうですね。

九星で一白水星、二黒土星、三碧木星、四緑木星、五黄土星、六白金星、七赤金星、八白土星、九紫火星という言葉は聞いたことがあるでしょう。この場合は本命早見表を使えばすぐに基本はわかります。ちなみに私は八白土星だそうです。ただ八白土星で先ほどの私の読みだと天の分野かなとなりますが、このあたりはまさに「当たるも八卦当たらぬも八卦」でしょうか。八白土星は八卦は「艮」、五行では「土」、方位では「東北」になります。いずれにしろ北側なんですね。

一般的に八白土星は「財産、長男、変化、建築、山」だそうです。巨大なエネルギーがあり大器晩成型とかいわれます。ちなみに月名は生まれ月などで判断するそうですが、この場合12月9日生まれの私の月命は一白水星になるそうです。もし勘違いしていたらどなたか指摘してください♪。基本的に一白水星は水の傾向があり、順応性があり水のように適応していき、肉親の援助よりも他人の援助から運勢が開け、おだやかだが敵には非常に冷ややかというふうにも表現されるようです。微妙に当たっているかも。

こうやってみていくと易学や占星術などはどうとでも解釈できるではないか、そう考える人は妥当ではありますが未熟だともいえます。もともとこれは一対一対応の科学ではなく、歴史的観点を含んだ統計学の神髄であり、当たらないことも当然含まれています。その上で重要なのはこれを実学として応用することであり、いい意味で役立てることであり、あなたや周囲の人が気付いたり偽りをやめたり、深層心理を気付くためにこそ用いるのです。

もしこういう類のものを読んでも、当たっていないと思うかもしれません。しかし当たっていないかもしれないし偽っているかもしれないし、深層心理に気付いていないだけかもしれません。こういうものはそういう観点で見ることが重要であり、さらにいえばいろんな易学者の言葉は真に受けてはいけません。その人たちがウソをついているわけではないのですが、易学者の解釈が介入しているため、より初歩や五行や八卦や配当表を基礎としてみて、そこから応用する視点が重要だといえるでしょう。
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風の通り道に

家を建てると、竜巻も通ると思うので飛ばされちゃいます。先に何か祀ってあるのも意味があります。鳥がもともと蒔いた木を、家の庭に落ち葉が落ちるなどの理由で切ると、家が崩れます。鳥を追い払うとシロアリが来ます。大きな鳥を乱獲するとカラスが増えます。

カラスの被害に困っていると言うところは

その場所が汚いという意味です。汚染され水鳥が訪れないと、カラスが増えます。水鳥は、鴨でも羽を広げるとカラスの倍以上になり羽ばたきだけでカラスを簡単に倒せます。易学と関係ありませんが、星と周波数、鳥の動きが似ています。

忘れっぽい=水に流すとダメです。

忘れっぽいのはダメです。私も反省しました。
お相撲クマちゃん、クマのこちゃん。八卦ヨイ良い八卦ヨイ良い八卦ヨイ良い…ですよ。
https://youtu.be/qz5Gf3uZOlw
ですよねー。

易經すなわち占いとは運命論ですね

以前投稿しましたが、もう一度仏教聖典「因縁」からの引用です。



この世の中には、三つの誤った見方がある。もしこれらの見方に従ってゆくと、この世のすべてのことが否定されることになる。

 一つには、ある人は、人間がこの世で経験するどのようなことも、すべて運命であると主張する。二つには、ある人は、それはすべて神の御業(みわざ)であるという。三つには、またあるひとは、すべて因も縁もないものであるという。

 もしも、すべてが運命によって定まっているならば、この世においては、善いことをするのも、悪いことをするのも、みな運命であり、幸・不幸もすべて運命となって、運命のほかには何ものも存在しないことになる。

 したがって、人びとに、これはしなければならない、これはしてはならないという希望も努力もなくなり、世の中の進歩も改良もないことになる。

 次に、神の御業であるという説も、最後の因も縁もないとする説も、同じ非難が浴びせられ、悪を離れ、善をなそうという意志も努力も意味もすべてなくなってしまう。

 だから、この三つの見方はみな誤っている。どんなことも縁によって生じ、縁によって滅びるものである。

先生のおかげで身に付けました

見分け方です。いかにも大漁という映像や画像がありますが、あらかじめ入れておいた魚と本当にその海で獲れた魚の見分け方です。自然を考えていれば、誰でも見分けられます。ところで、汚い下水のところを工事しているのですが、橋をやっていて中もきちんとやり、魚が戻ってくるか見ていようと思います。土壌にもメタトロンをできれば良いと思うこの頃です。カラスは、憎めませんが、ムカつくのは、他の鳥に「食べるな‼︎」と言うように、叫ぶからです。それも、来なくする方法があります。他の鳥を使うのではなく、先生をはじめとする医者の方々や自然と向き合っている方はできます。カラスの被害に困っていると言う人を見たら、バカだと思ってください。

No title

占いを頼るとは、自らの感性を信じていない証だな。
すなわち、占いを頼るということは、自分自身以外の「誰か」に、物事や自らを定義してほしがっている心の現われでもある、というとだ。
これでは、精神科医に自らを定義してほしがっている人と大差ないではないか…?
易学に信憑性があるということは、精神医学も数百年・数千年後には、統計に基づいた立派な学問になる可能性があるということだな…w

もちろん、先駆者や覚者からインスピレーションを受けることはひとつの指標となるだろう。
その意味でいえば、占いを信ずるも、向精神薬を服用するも、結局は個人の自由意志に委ねられるということなのかもしれないな…

凡そ学者というものは古今東西ほとんどすべて有害無益な妄言をろうする口舌の徒に過ぎない。

凡そ学者というものは古今東西ほとんどすべて有害無益な妄言をろうする口舌の徒に過ぎない。

医は仁術と申しますが、仁とは儒教の最高の徳とされており、思いやりのことです。道教に仁はありません。自分一人仙人になるための仙術があるだけです。
一神教にはさらに何もありませんね。仁義礼智忠信孝悌のいずれもなくただ人間に対して造物主への絶対盲信奴隷服従が要求されます。一神教太陽暦西洋医学も西洋科学もすべてが妄想への狂(きょう)信から生じたビッグバンハルマゲドン煩悩願望にすぎません。

仏教は仁義礼智忠信孝悌をさらにうわまわる至上の教えです。
人天の師釈尊はこの宇宙至高無上の大慈悲を仏法としてお教え給うた。釈尊はまた医王とも称えられます。

医者は人の病を治す技術者職人ですが、それは宮大工と同じ仏心をもって医術を施さなければ病を癒すことなどできないのです。もちろん学者には何もできません。

http://hidenori1212.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-a076.html#comment-77203813

「「木に学べ」法隆寺・薬師寺の美 西岡常一」
近江聖人のお話が出ましたのでhttp://iiyama16.blog.fc2.com/?no=4029
私も鵤の聖人聖徳太子の心を1500年後のいま現代に伝えてくださった匠のお話をご紹介したく思いました。
タイトルの本は1987年「BE-PAL」誌上に連載されたエッセイ形式を1988年3月小学館ライブラリーとして刊行されたものです。
最後の棟梁鵤之郷大工西岡常一氏の「あとがき」を全文転載します。(誤字校正済)

 「田舎大工の口から出放題の戯言を、「BE-PAL」誌上に区切りよく連載して下さった白井康介さん、今また、その連載を一冊の本にお纏め下さった石塚郁雄さん、其の他のスタッフの皆々様に深く御礼申し上げます。
 学者への不用意な放言も、歯に衣を着せて上手にお纏め下さったことに感心いたします。私は、学問を軽んずるような心は毛頭もっておりませんが、よく考えてみて下さい。科学知識は日進月歩で、今日の正論は明日の正論では有り得ないのではないでしょうか。今日をもって千年後の建築の命を証明出来ないのではないかと思います。千年どころか、明日をも律し得ないのが科学知識の天気予報やありませんか。
 それはなんでかと言うたら、科学はまだまだ未完成やからだっしゃろ。未完成の今日を科学で総てを律しようと考えがちなのが、学者さん方やおまへんやろか。科学知識のない我々工人の言い分にも耳を傾けるような学者さんこそ、ほんとうの学者やと思いまんな。
 私どもの、仕事に対する考え方や思い入れは、神代以来の体験の上に体験を重ねた伝統というものをしっかり踏まえて、仕事に打ち込んでますのやがな。例えば、法隆寺伝統の大工には口伝というものがありますのやが、その中の一つに「堂組の木組は寸法で組まずに、木の癖を組め」と言うのがありますけど、どんな建築の本を読んでも、こんな言葉にはお目にかかりまへんな。寸法や形式・様式には詳しいことですが、建物を造営する木の癖に触れた本には、いまだお目にかかっていまへん。それは私の本を読む範囲がせまいのかも知れまへん。浅学のせいでっしゃろな。もっともっと勉強せなあかんとゆうことかいな。
 何れにしても、堂塔伽藍を造営するのには、様式や形式に先だって、造営の意義と言うものがありまんがな。例えば、法隆寺の場合には、英邁限りない聖徳太子が仏法の慈悲をもって国を治めようとなさったんやと思いますが、多くの仏法者を養成するための道場としての伽藍ですがな。薬師寺もまた、天武・持統の両帝が、仏法興隆治国平天下の大願をもってなされた大伽藍でっせ。仏法の慈悲ゆうたら、母が子を思う心だっせ。火事や地震やと火急の場合、自分の一身にかえても子を救おうとする、それが慈悲でんがな。
 世のお母さん方、自分の心の内をようよう振り返ってみて下され。ようわかるはずだすが。わからなんだら、法隆寺や薬師寺のような心構えで造営された、魂のこもる寺に、観光でなく心から参拝して祈ってみて下され。仏法こそが、世界を最後に救う法やと感得しますし、慈悲心で国を治めようとなさった太子や天武・持統の魂が、皆様方の心にも宿りまっせ。
 大工の喋ることやないことを喋りましたな。笑ってお許し下さい。」
一九八七年十二月

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この本の他にも、NHKブックス318「法隆寺を支えた木」(西岡常一、小原二郎)と言う本で、西岡常一師の口伝を読むことが出来ます。

さらにインターネットで「西岡常一 薬師寺」で検索すると次のような西岡老師の教えの言葉が紹介されたページがあります。

自然界こそただの占い

占いこそ自然界の流れを綺麗にニンゲンが理解できるように説いただけの生き方としか僕には思えない。

つまるところ、自然の摂理にのっとり、ニンゲンの指針やコンパスに代弁し、わざわざ荒波に揉まれよう者はケダモノに過ぎない。

それもまたそれで摂理であり、何かを正当化する意味を孕むものでもないのに。

なにをそこまで。

西岡常一棟梁の言葉

Bingの検索ページです。
www.bing.com/search?q=西岡常一棟梁の言葉&FORM=QSRE1

先にこのページのコピペをしようとしたらFC2にブロックされましたので、代わりにアドレスのみ示します。ご覧ください。

コメント欄にて思う。学者とは極めて客観的に「既にあるもの」を発見、解明、研究をする存在ではないかと。人間の分の線引きがどこまでかなどは別の問題で、学問を軽んじたり学者を下げるのもずれている。学者が解明したことをどう繋げていくか、人間の分で望むことは何か?その上での開発になっている訳で不具合も生じる。何々が悪い、で済ます論調は多いがそれが目的になっては人間の分を使いきらない。
プロフィール

Author:キチガイ医
平成25年4月よりTokyo DDCとNPO法人薬害研究センターを設立、平成28年1月からはうつ民のセレクトショップや無料メルマガもやってます(詳しくはリンクをご覧ください)。薬の減薬や断薬、支援施設運営や、執筆や啓蒙活動を通して、自分の素人的意見を発信していければと思います。当ブログはリンクフリーですが、リンクするときは一声おかけください。

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