原則

こういう記事ほどみな興味がない。
たまに真面目に書くこういう記事が重要だと私は思うのですが、そういう記事に限って反応が薄いのも原則なのかもしれません。人生を豊かにし真理に近づくうえで最も重要なのは、この原則についての理解です。ほとんどそういう人は見かけませんが、それを理解していると論文や研究など何の意味もなくなります。もちろん大概の人は科学を見て研究を見て、その後に大いなる原則を理解するようになってから、科学や研究の無意味さを知るわけですが。

原則とはなんでしょうか。これもまた語り出すと長いし、原則についての説明も人によって変わってくるかもしれません。そしてこの原則はより広い範囲に適応できることが条件であり、再現性があるという点も条件であり、定理的に扱うことも可能です。また相似形をもっているというのも特徴であり、たとえば菌の世界に適応できるものは人間にも適応でき、それはまた社会にも宇宙にも同時に適応することが可能なわけです。なにをやれば病気が治るかにも原則があります。

たとえば食を考えるとき個別の食材を見るのではなく、野生動物や先住民を見習おうというのは一つの原則です。そのさらに元をたどると生物学として人間とはなんなのか、ということにつながってきます。人間の科学も統計もあまりにも弱く無意味というのも一つの原則です。それをたどると人間は自然に遠く及ばないことも、科学や統計をすぐに人間が捻じ曲げることも、自然界の摂理全てを人間が体現できないことも、すべてを含むことになります。

宗教が真理を含みながら最も罪深いというのも一つの原則でしょう。科学や人間の愚かしい学問に傾倒するより歴史を見ろというのも一つの原則でしょう。お金の流れを見ろというのも現在では一つの原則でしょうし、非自然物(化学物質含む)のなにが問題なのか知るのも一つの原則でしょうし、精製の原則とクスリの関係を知るのも我々の世界では一つの原則です。残念ながら医師や薬剤師で精製の原則を知るものに、今まで出会ったことはありません。

生物が親から子にさらに次世代に受け継がれていくのも一つの原則です。叩けば増え同意すれば減るのも一つの原則で、これは耐性菌や抗ガン剤やスーパー雑草のことにすべて当てはまります。どんなものにも背景があるというのも一つの原則でしょうし、マーケティングされるすべてのものに真実はないというのも、現代においてはよく適応できる原則です。そしてなにより人の心理(真理ではなく)には原則と反応があるのですが、これを理解している人はほとんどいないのが現実です。この心理の原則は陰謀論などとは比べ物にならないくらい重要なのです。

ちなみに言葉をきれいにしましょうというのは原則でも何でもなく、願えばかなうと思うことも原則とはかけ離れていますが、一般人は違うように考えるようです。魂について語るのも原則的に見えて実は外れています。優しいこと優しくないことや善悪の判断も原則から遠く離れています。このようなことが見えるようになってきたとき、今まで見たり覚えたりしてきた全ての知識が、はじめて知識以上のものになって変わっていくのです。
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「仏陀」塚本啓祥著 教育新潮社1969年発刊 フリドブックスp94

釈尊の教え四聖諦(ししょうたい)「苦集滅道」のうち「集諦(じゅうたい、じったい)」の「十二支(十二縁起、十二因縁)」について塚本師の解説です。

________________________


・・・仏陀は「苦」を滅するために、苦を生ぜしめる種々の条件を思索した。・・・


 十二支とは無明(むみょう)・行(ぎょう)・識(しき)・名色(みょうしき)・六処(ろくしょ)・触(そく)・受(じゅ)・愛(あい)・取(しゅ)・有(う)・生(しょう)・老死(ろうし)である。

この支分は「無明を縁として行あり、行を縁として識あり、乃至、生を縁として老死あり」と因から果へ順次に思索せられる。

また「老死は生を縁とし、生は有を縁とし、乃至、行は無明を縁とす」と果より因へ逆次に思索せられる。

また「無明滅するに縁(よ)って行滅す、行滅するに縁って識滅す、乃至、生滅するによって老死滅す、故に憂悲苦悩滅す」という思索の過程も示される。


 そこで十二支の意味と成立の関係について説明しよう。

(1)無明とは心の迷闇無知で、これによって種々の作為が起こる。この心の作為を(2)行という。ゆえに無明を縁として行ありという。

また、心の作為は、(3)識、すなわち識別・意識を生じる。ゆえに行を縁として識ありという。

次に、(4)名色とは名称と形態あるもの、すなわち個体をいう。仏教においては、認識以前に存在する物自体を措定しないで、それぞれの個体は、識によってはじめて存在の意味をもつとするのであるから、識を縁として名色ありという。

次に、(5)六処は眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜっ)・身(しん)・意(い)の六種の知覚器官で、これは知覚の対象たる個体があってはじめて成り立つのであるから、名色を縁として六処ありという。

そして、知覚器官と知覚の対象との接触によって知覚すなわち感受が成り立つので、六処を縁として(6)触あり、触を縁として(7)受ありという。

さて、感受によって対象に対する渇望、すなわち、(8)愛(渇愛)を生じる。したがって、受を縁として愛ありという。

また、対象に対する渇望は、そのものに対する取著、すなわち固執を生じる。ゆえに愛を縁として、(9)取ありという。

次に、対象に対して欲望をもち、それに固執している姿がわれわれの生存、すなわち現実世界である。ゆえに取を縁として、(10)有(=生存)ありという。

そして、われわれの生存は、(11)生をもってはじまり(出生)、(12)老死をもって終わるので、有を縁として生あり、生を縁として老死ありと説くのである。


 要するに、人生の苦は執著(しゅうちゃく、しゅうぢゃく)に由来するが、その執着は生存に対する渇愛によって生じ、その渇愛は、さらに無明に由来すると教えるのが十二縁起説である。

かくて(苦諦を滅する)集諦の認識が成立する。

__________________________

多細胞生物の生存=「生老病死」は自律神経システムの細胞活動に依存する

母の胎内あるいは卵内からこの世の外界環境に生まれ出た瞬間から個体が死亡するまで1秒たりとも休み無く活動しているのが自律神経システム細胞であり、自律神経システムの活動カレンダーすなわち生命リズム・生体内時計・バイオリズム生活リズムは現在の太陽暦ではなく太陰暦に同期して活動し、外界の環境の変化に対応して個体の生命活動生活行動を防衛修復補強しながら体内時計の寿命を守っている。 

すなわち、前記四聖諦の集諦の十二支(11)生・(12)老死までが個体の寿命であり、よって寿命はその個体固有の自律神経システム体内時計にすべて依存している。

生命とは自律神経システムであるともいえる。

生老病死の人生の「苦」は、自律神経システムの働きによって、その個体に個別特有の「苦」としてもたらされるのである。

No title

興味がないというより、恐らく理解できない理解しようと努力しない。

全て存続するという法則のもと全宇宙が回ってる。
ただひたすら無になりたくないと。

そう思わせるために不安や恐怖ももれなく付いてくる

その存続エネルギーで動いてるので全生命体は活動を
やめてはいけない。勝手に止めたら無限地獄♪

自殺もできない。生きてく苦しさや死にたくないという死の恐怖を乗り越えるためのエゴ、快楽、それぞれを
時々上手いタイミングで起こし自殺予防。

わかるかな?

No title

「叩けば増え同意すれば減るのも一つの原則」ですね、
だから、「ちきゅうに優しくするために」人口を削減したいのであれば、
叩いてはダメで、PTSD予防がポイントなのです。

あ*quae [1/19 14:45]
むしろ、どんぱち戦闘すると、戦闘の後には子孫を残そうとする #ベビーブーム が来てしまうわけですよ。だから少しずつ減らすには #PTSD 予防が必要なのです。

あ*quae [1/19 14:43]
もう十分、放射能汚染を含めて複合汚染が進みましたので、人口は減りますよ、放っておいても。

とアメブロの「なう」にも書いておきました。

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行動するが勝ち
完全オフグリッド生活をしているサトウ夫妻をみて思います。
東電と縁を切り自家発電で生活されてます。
預金もメガバンクやゆうちょから信用金庫に移し替えたそうで。
お野菜も固定種で自家栽培。
ソーラークッカーでお日様お料理。
楽しそうです(笑)
311があって、いろんな疑問が出てきて自分で調べてちゃんと行動して。
こんな方がもっと増えるといいな、と思います。
ごたごた屁理屈言わないで素直に感じて素直に行動できる人。
知識ばかり豊富でも動かなきゃ!



自戒を込めてσ(^_^;)

No title

五本木クリニックのクズっぷりを紹介します。

>インフルエンザ予防接種は効果がありません、という毎日新聞の報道への疑問が満載!!

http://www.gohongi-beauty.jp/blog/?p=16242

「あの日」の、初めを読んだだけで

原則として、私は、映像や本、他実際に見て(会って)、地球のためになる優しい方々、全てに、先生の本と、あの学校、その他の資料を、お送りしたり渡したりして、鳥のために変わるようになると良いと思っています。農薬を撒く人の部類には、情報を与えません。お会いできない本の著者の方などには、出版社宛ではなく、確実に渡るところ宛にです。

No title

うちの母親は40年以上前の精神科を知ってる看護婦ですが
先生の本を読んでようやく精神医学に対するモヤモヤがすっきりしたそうです

仲間などいなくても

大切なことを忘れて どうでもいいことに固執してしまうのは
やっぱり変な見栄とかプライドとかの為なんでしょうかね。

本末転倒なのはよくある事で。

基準など不安定だったりするとそれを指針にする人は何でも定まらないという事もあるでしょう。
何か誰かにそれを決めて欲しいと願う人もおりますし、
その集団から突き抜けて解放されようとするなら、
人と一緒の事をしている間はそれが無理なのでしょう。
人と違う事をしている人を見ると「変人扱い」ですし、
足を引っ張り合う事で安心したりして。

そしてそれぞれがコントロールされ しあっている事に気がつかず、
間違った認識が「自立している」と勘違いするのですね。

自然に逆らう現代の傲慢

先生のおっしゃっている事は、三石巌先生が纏められた「医学常識は嘘ばかり」に書かれている内容に共通するところが非常に多いように感じます、”私も現代医学は超速の進歩を遂げている”と今の権威者といわれる先生方はおっしゃいますが、それは単なるマスターベーションに過ぎないと思っています。今の医療を一言で言うなら病気探しに過ぎないのではないでしょうか、難しい病気を見つけてもそこから先がないのも事実だと思います。まさに内海先生がおっしゃるように治せない、治したのではなく単に直しただけという事に気づいていない医師が多すぎます。先生の本は2冊目を読んでいますこれからも目を覚まさせる本を書いて下さい。

自然薯

私の主観はいつも色ズケされた嘘っぱちですが明らかな事実はただひとつですメクラなことを素直に認めありのままを受け入れるだけ
プロフィール

キチガイ医

Author:キチガイ医
平成25年4月よりTokyo DDCとNPO法人薬害研究センターを設立、平成28年1月からはうつ民のセレクトショップや無料メルマガもやってます(詳しくはリンクをご覧ください)。薬の減薬や断薬、支援施設運営や、執筆や啓蒙活動を通して、自分の素人的意見を発信していければと思います。当ブログはリンクフリーですが、リンクするときは一声おかけください。

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