アホ
なんでこんなにアホばかりなのか・・・♪。
アホというのはどこまで行ってもアホでありそれを理解できないからアホだ、というのは常識的なことだがそれを理解させようというのもまたアホである♪。アホは己がアホであることには決して気付けないし、アホは己がアホだと指摘されると相手をアホ扱いするのも共通している♪。アホは往々にして世の中を知ったフリをしているが、その知っている世の中がアホなだけでなく、知っていることが間違っていることに気付かない段階で、二重三重にアホであることにもまた気付かない♪。
日本人のアホの代表格が医者であり歯医者であり、政治家でありメディア関係者であり、セラピストであり教師であり保健師であり、官僚であり経済人であり芸能人であり弁護士であることは当たり前のことである♪。彼らは基本的にそれ以外の人間をアホだと思っているが、アホにアホだと思われたところで気にする必要はない♪。構造的にいうならば三次産業であればあるほどアホであり、権威や専門家を名乗れるほどにアホであり、何かしら影響力があるという段階でアホである♪。
アホは単にアホだというだけではなく、依存的でありクレクレ君であるという点でも共通している♪。アホの職業というのは誰かをターゲットにしないと成り立たないのだ♪。だからあらゆる医者の話を真に受けている段階でアホであり、あらゆる歯医者の話を真に受けている段階でアホであり、あらゆる政治家やメディアやセラピストやコンサルタントの話を、真に受けている段階でアホである♪。しかしここでもアホであればあるほど、自分だけはアホではないというアホが目立つ♪。
今、世界はアホしかいないというのが現実である♪。あらゆる陰謀論者はアホでありあらゆるスピ系人間もアホである♪。しかしそのことを彼らは受け止めることが決してできない♪。そんなことをやっている暇があるなら、アホであることをやめて大アホか大々アホくらいになった方がまだましである♪。アホは並列化を求め情報を求め被害者意識を求めるが、大アホはそのアホどもを笑いながら己の道だけを歩む♪。大々アホはそれさえも通り越して世界を変えようとするか、世界を己の考えるものにさえ作り変えようとする♪。
アホになるのはもうやめて大アホとか大々アホになろう♪。
アホというのはどこまで行ってもアホでありそれを理解できないからアホだ、というのは常識的なことだがそれを理解させようというのもまたアホである♪。アホは己がアホであることには決して気付けないし、アホは己がアホだと指摘されると相手をアホ扱いするのも共通している♪。アホは往々にして世の中を知ったフリをしているが、その知っている世の中がアホなだけでなく、知っていることが間違っていることに気付かない段階で、二重三重にアホであることにもまた気付かない♪。
日本人のアホの代表格が医者であり歯医者であり、政治家でありメディア関係者であり、セラピストであり教師であり保健師であり、官僚であり経済人であり芸能人であり弁護士であることは当たり前のことである♪。彼らは基本的にそれ以外の人間をアホだと思っているが、アホにアホだと思われたところで気にする必要はない♪。構造的にいうならば三次産業であればあるほどアホであり、権威や専門家を名乗れるほどにアホであり、何かしら影響力があるという段階でアホである♪。
アホは単にアホだというだけではなく、依存的でありクレクレ君であるという点でも共通している♪。アホの職業というのは誰かをターゲットにしないと成り立たないのだ♪。だからあらゆる医者の話を真に受けている段階でアホであり、あらゆる歯医者の話を真に受けている段階でアホであり、あらゆる政治家やメディアやセラピストやコンサルタントの話を、真に受けている段階でアホである♪。しかしここでもアホであればあるほど、自分だけはアホではないというアホが目立つ♪。
今、世界はアホしかいないというのが現実である♪。あらゆる陰謀論者はアホでありあらゆるスピ系人間もアホである♪。しかしそのことを彼らは受け止めることが決してできない♪。そんなことをやっている暇があるなら、アホであることをやめて大アホか大々アホくらいになった方がまだましである♪。アホは並列化を求め情報を求め被害者意識を求めるが、大アホはそのアホどもを笑いながら己の道だけを歩む♪。大々アホはそれさえも通り越して世界を変えようとするか、世界を己の考えるものにさえ作り変えようとする♪。
アホになるのはもうやめて大アホとか大々アホになろう♪。
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