薬物中毒にならないために2

昔から精神修行という言葉はあったが、現在では何を指して言うのか定かではない。現代社会では宗教色の強い古代と違って、望めば誰でも修行と称したビジネスプランに参加できるからだ。しかしビジネスプランだからといって軽蔑したりはしないし、少なくとも精神薬で考える力をなくすよりは相当良かろうと思う。もともと精神疾患といわれる人たちはS遺伝子の要素が強いのか、努力しない割に異常にプライドだけ高い傾向がある。そして努力と結果が表裏一体であるということさえあまり理解しない。そして修業と称されるものは、そんなしょうもないプライドも夢物語も一網打尽にうち砕いてくれる。少なくとも精神科にかかっている人のうち、9割はこういう鍛えるだけで良くなると思う。

こういうことが実際可能な状態なのに、あえてそれを避ける人は多い。厳しいことをすすめる人間とは、患者さんの苦しみとやらを理解しない人でなしであるらしい。しかし精神科の患者さん達は、自分の言うことは聞いてほしいが、人の言うことは理解しようとしないので、その結果理解しようとする人がどうなるか、結果は明白だ。ある人は皮肉的に発達障害の四次障害などという言葉を作ったが、それが社会として、いや、生命形態としてまっとうな姿といえるだろうか。逃避的な人はただ現実から離れたいだけなので、決して病気とは言わないはずなのに、現代では精神病であるという。何度でもいおう。精神疾患などというカテゴリーは外国の学者が、儲けのために作りだした枠組みに過ぎない。その都合いいところだけを利用して、疾病利得にいそしむ患者達と、薬漬けにして儲ける医者たち、それを正直に指摘できない現代社会にこそ問題があるのではなかろうか。所詮しのぎ合いの中にしか、人間の成長も精神症状からの卒業もありえはしない。

一般的イメージとしては滝打ちや座禅などが思い浮かぶ。仏教色は強いが私は悪くないと思う。正直護摩業でもいいが、これは相当きついらしいので、もはや治療などと呼べるレベルではないだろう。登山やマラソンはいろんな意味で効果があると思う。これらは流行っているが、日本人全体が病前状態でかつそれを克服するために、自分たち自身で取り組もうとしている表れでもあるのではないか。こういうことをしている人で精神科にかかった人を今のところあまり見たことがない。逆説的に言えば難患者達で、こういう事をしている人を見たことがない。

もう少し軽いものだと太極拳やヨガなどがあり、これは心療内科の教科書に載っているくらいである。呼吸法なども腹式呼吸が基本で、丹田を重視するよう教えられるので、未病治療としても多いに役立つはずと思う。こういうことをやっている人は、どこが痛いとかどこが凝るなどとも言わないし、そういうことを訴えて病院に来るような人間にはならない。

断食というのは一定の効果があるらしい。ちょっと不思議なのが、精神症状の多くが低血糖に起因するという医者がいたことである。全部とはいわないが、摂食障害ややせ型女性のイライラやPMSなどの場合、低血糖も関連はしていると思う。こういう人たちは合間にチョコレートを食べるだけで劇的に改善するが、このことと断食はどう説明付けるのか、私にはわからない。腸内細菌叢を一掃するのではないかという意見もあるが、本当かどうかは定かではない。ただ経験者によると、一つの壁を超える感覚があるらしい。

教育というのは最大の鍛えである。幼少期で勝負が決まっているといっても過言ではない。厳しすぎてもダメだし優しすぎてもダメだし、ここは自分もわからない。ただ難患者の親をみていると、おとなしくて手がかからない子供がいた時、自分が楽なので、それを改善しようとしたり、コミュニケーションの訓練となるようなことを教えた経歴がほとんどない。患者が親の育て方が悪いと恨む理由の筆頭である。人の中に入りたがらないのをそのままにしておいて、後でどうしようもなくなった時に親があわてて精神科に連れて行くといった具合である。逆にジャイアン系のような子供の場合、違う方向で社会ルールや行動制御する訓練が必要だが、これもあまり行っておらず好きにさせているか、下手すると社会的に悪くても怒りさえしない。逆にがんじがらめにして子供がヤンキーにすすむ人も多いようだが、結果を考えてみればなんだかんだと社会適応している。精神薬を安易に飲まされた人より、よほど人間らしい経過をたどっていると思う。

多分こんなことをいう医者はいないだろうが、トラウマや傷つき体験やコンプレックスを感じるのは、生きる上で必要不可欠である。良識派とか言われる精神科医も多くの心理士も、これらはいけないこと、排除すべきものという人が多い。しかしその結果が今の世の中ではないかと私は思う。教育現場でも会社などでもこういうことをさせるのがいけない、避けるべき、それで病気になるのは必然という認識が浸透しているが、そのおかしさを今の人間は感じないらしい。よく患者さんは私に「先生みたいな優秀な人はトラウマなんてないでしょうね」というが、大きな誤解である。いや、医者仲間で飲みに行った時の話を思い出しても、いじめられた経験の持ち主だけでどれだけ多いことか。それを笑い話で語っているのも変な話だが、転勤族の子供だったり成績だけ優秀なゆえにいじめられるのは、医者だけの話ではあるまい。医者など皆アスペルガーとかいう医者もいたが、そうすると、この医者たちはみなPTSDで発達障害の二次障害であり、治療しないといけない話になる。

私はトラウマや傷つき体験やコンプレックスを推奨しているわけではない。問題はそれが誰にでもあり、それによって人間は鍛えられているということ、前に進む原動力になるということ、そしてそれを共感する家族や友人がいれば、病院にかかるような事態は防げるということである。私は今までとことん難患者の親を否定してきたが、親初心者の私が見ても、彼らの接し方は異常なものばかりである。自分はまるで鍛えられておらず、子供も全く鍛えてはいない。それを指摘した時さらに自己防衛に彼らは走り、すべてを精神科医や薬のせいにする。子供は親の背中を見て、親を真似て育つのである。親がまともな人の場合、ほぼ100%難治化はしない。

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No title

昨今の書き込みで、私が精神薬全面否定者のように思っている人が増えているようである。確かにいろんないきさつで嫌いになっているのは確かだが、全面否定はしていない。日々処方しているのは事実であり、僕の外来にも薬が役立っている人はたくさんいる。繰り返し述べているように、精神薬はなんの根本的解決も示さないこと、副作用や依存の多い怖い薬であること、それでも使う必要があるか使う本人が考えること、精神疾患というカテゴリーに簡単に逃げるなということが重要だ。

精神薬は酒によく似ている。麻薬や覚せい剤や麻酔薬にもよく似ている。というより精神薬のない時代は酒が治療薬だったのである。酒は少し飲むと気分がよくなりしゃべりやすくなり元気も出るが、飲み過ぎると次の日に様々な後遺症が出るし、さらに長期飲み過ぎるとアルコール性痴呆をきたし、アル中にもなる。これらは酒と精神薬を置き換えればすべて同じであるといえよう。麻薬や覚せい剤はより依存性が強いので薬とはいえないだろが、やはりモルヒネや他種のように役立つものが存在する(ここではモルヒネと精神薬の細かい違いには触れないが)。モルヒネほど副作用が多い薬もなかなかないし、一冊の本がでるくらいなので、その副作用は精神薬と似ているものが多い。それでもモルヒネは医療において欠かすことはできず、恩恵を被っている人は数知れないと思う。

ほとんどがターミナルの患者さんに用いられるが、彼らにとって薬の依存は大きな問題にならない。厳しいようだが余命がかぎられているからである。それよりもその期間QOLをあげることが重視され、その点で精神薬が用いられるべき条件も同じであると思うだけだ。モルヒネを使う人は、医師も患者も「その場しのぎの危険な物質」であることを知っているからこそおおごとになりにくい。しかし精神科は医師も患者もそのことを知らず、副作用などない、我慢すればよい、飲めば治るとウソばかり言う医者がいて、患者側も薬では治らない、あなたにも問題がある、親にも問題がある、自分自身でしか治せないといわれれば、正直に言った人を「人でなし」にする。すべてを精神疾患や薬のせいにして自己弁護する。

この領域ほど正直に話せば批判される分野はない。正直早く辞めれればと自分で願う毎日である。

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No title

余命を告げてもらえない人は、モルヒネさえ投与してもらえない。
ただひたすら痛みと闘いながら亡くなっていく。QOL(生活の質)は、医療者には決められない。患者自身が決めていくもの。薬を飲まされるのではなく、飲むことを患者自身が選択している。そうして維持される生活がより良いものであることを考える。その具体的なかたちは患者側が具体的な言葉で表現することでつくられる。患者自身が統失ではと疑えば、ゴールは必然に統失になってしまうんだろうな。

No title

私の母親は東洋医さんの言うような身勝手自己中で子供の心の苦しみを全く理解しおうともしない冷酷な親です。
子供を自分のステータスや社会的地位の誇示の道具ようにしか扱ってくれなかった(くれていない)毒親です。
だから、私は一応それなりの大学にも進学し、専門職としての地位も得ました。
でも心は常に空虚で、自分の気持を表に出せない人間にしかなれれず心の病に長い歳月苦しんできました。

幸い、父親が身を呈して自分が防波堤のように子供をかばい愛情をたくさん注いでくれたおかげで、なんとか今立ち直れるエネルギーがわずかではありますが与えられていたのさだと、父亡き後感じています。
父の存在がなければ、私は今頃とうに自分の人生を己の手で断ち切ってしまっていただろうと思います。

その父も病を患い、ガンでもないのに本人の同意も得ず、母と一兄弟の手でモルヒネを使われ命を縮めてしまわれました。
母が介護が大変だと、たったそれだけの理由でです。
私と妹が父の看病をする言ったにも関わらず、「あんたたちに財産はやるつもりはないから」とこじ付けの理由から最後は父に会う事すら拒否されました。

このような経緯から、今では母を許すことができず、実の親とも思えません。
まさに毒親のサンプルです。

「俺が死んだら、女房には好きなようにさせてやってくれ(母本人が父の墓にはいることを拒否したら、同じ墓に入れなくてもいい)これが父の遺言です。
父が私たち子供を守るのに必死だったことを、父の死の間際にあらためて実感し、父には哀れさと申し訳なさ、そして何より感謝の気持でいっぱいです。

酷い母親ですが、父の豊かな愛情のおかげで、私はすこしずつ立ち直り生き方の方向をかえられつつあります。
どんな酷い親でも、フォローしてくいれる人が他にいれば、最小限の薬で立ち直るこことができると、あらてめて思っています。

今、私は抗欝薬と抗不安薬を自分調節しながらも不十分ながらなんとか当たり前の生活を取り戻しつつあります。
母からは依然として「娘は○○ガイ」呼ばわりされていますが、もう全く動じませんし気にもなりません。

「今の私を見てください」と理解しフォローしてくれる人に真実を話して聞いてもらえるまでになりました。
冷酷無非な子供とさげすまれても、自分を守るためには、実の親でも、離れなければならない時があること抵抗なく思えることが増えてきました。

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プロフィール

キチガイ医

Author:キチガイ医
平成25年4月よりTokyo DDCとNPO法人薬害研究センターを設立、平成28年1月からはうつ民のセレクトショップや無料メルマガもやってます(詳しくはリンクをご覧ください)。薬の減薬や断薬、支援施設運営や、執筆や啓蒙活動を通して、自分の素人的意見を発信していければと思います。当ブログはリンクフリーですが、リンクするときは一声おかけください。

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