ナンとか療法

昨日飲んでいる時に、「ナンとか療法」についての話をしたので、参考になるだろうから書いておく。
この「ナンとか療法」はすべての治療法や考え方について当てはまる。それは西洋医学だろうが東洋医学だろうが整体学だろうが歯科学だろうが、さらにいえばナチュロパシーだろうがホメオパシーだろうがオーソモレキュラーだろうが、すべてに共通している。そしてそれを用いている段階で、それは自分のレベルを押し下げていることを知るべきである、という話だ。この話がスムーズにいく人というのは、本当に数が少ない。どこまでいってもその誰かは「ナンとか療法」とか「ナンとか法」の支持者である。それは相当に悲しい。

例えば、西洋医学とその他のものとどちらを選んだ方がいいかといわれれば、それは後者をすすめる。西洋医学ほどに毒を扱い人を殺す職業はないからだ。まさにその筆頭が精神科医である。だが医師の観点からみれば毒というのは避ければいいというものではない。毒はあらゆる場面で存在し、その毒を必然の一部ととらえることができなければ、真の意味でニンゲンを卒業することはできない。まさに真の医学というのは真の意味での毒学であるということがいえる。今の医学はニセ医学であり毒学でさえない。

ではなぜこの「ナンとか療法」がすべてダメなのか?というより、ダメではないのだ。それは100点ではないという言い方がふさわしい。どこにも完璧なものなど存在しない。どれも私に言わせれば、それらはすべて70点とか80点というレベルでしかない。そのどれかに固執してこの「ナンとか療法」とか「ナンとか法」が良いなどと、それこそ宗教に固執しているのとレベルは変わらない。私に言わせればそのすべての「ナンとか療法」の問題点を指摘できる。それらは所詮その程度のレベルであり、それ以上でもそれ以下でもない。

ニンゲンでも人間でも、それが何を目指しているかということにより到達する結果は異なる。以前グーミン<ニンゲン<動物<人間<?の話を出したが、その時にある人が指摘していた言葉が印象的である。それは「みんな人間になりたいんですね」である。人間になりたい人は人間にはとてもなりにくい。

?の中身はもうある程度の人は想像をつけているだろうが、それは人間を超越した存在ということである。それは神ではない。一般人にわかりやすい言葉を使えば、仙人とか賢者とかそういう類の存在である。しかし誰もそれを念頭に置いていた人はいなかった。それが自分の昇華を妨げていることに気付かない。

もちろんそれは簡単になれるものではないし、なれないかもしれない。しかしこれは目標を高く設定すればなんとやらという、世間的な意見と別に同じである。その与えられた「ナンとか療法」「ナンとか法」「ナンとか思想」などが良いと思っているうちは、所詮それが限界である。

例えば私は食の話をよくだしているが、一番は無添加、無農薬の食事を食べることだろうか?それは現代の食事や食のあり方や古典的な考え方を鑑みればかなり良である。しかしベストではない。最強のベストは「どんなものを食べてもまったく強靭でいられる」とさらにいえば「何を食べなくても生きていくことができる」というレベルである。人間にはそんなこと不可能ではないかと多くの人がいるだろう。しかし少なくとも前者なら人間にだってできる。後者だって不可能ではないかもしれない。私は無宗教だが仏陀やキリストはその領域にたどり着いたのかもしれない。最初から無理だと決めつけている限り、それが訪れる可能性は0でしかない。

このウォールにおいて「私の目的は違う」という言葉をよく用いてきた。その一端がこれだが、だから本質的にはここに上げ続けている情報さえ、私には意味がなくなるということなのだ。そして自らを高みにあげてくれるものなら私はすべて許容する。しかし本質的にあげようとしないものに対しては、無視するかバカにするというだけのことだ。これは宗教論でもカルトでもなんでもなく、単なる個人的観念であり願望であり哲学であるのみだ。

別に私の考えや生き方を真似しろともいわないし、強要する気もさらさらない。しかしこのツールはそういう目的のために用いられているということを、そろそろウォールを見ているなら知るべきである。それがキチガイ医に込められた意味の一つでもあるのだ。

私は酒を飲む。それに添加物が入っていても普通に飲むし、それで体調がどうなろうが何も気にしない。もう今は何ともないが、アルコールはいろんな意味で体に悪影響を及ぼす。そんなことは知っているし知った上で選択して飲んでいる。もっといえば人間が健康を求めるという感覚が私にはない。いつ死んでもいいし、いつ病気になってもいいし、いつ変な症状が出てもいい。それは前述のような発想が根底にあるからだ。

アルコールは、咽頭癌、食道癌、肝硬変、慢性膵炎、尿路結石、神経因性膀胱、痴呆症、依存症など様々な問題を起こす。そんなことは知っていて当たり前である。知らないのに飲んでいるなんて相当のバカである。アルコールにもいろんな利権があろう、それも知っていて当たり前である。それでも飲むのはそれらを理解したうえで、それでも自己が何を考え、何を選択し、何を目的として、自分が決断してその責任はすべて自分が背負う、という思想があればこそだ。これは実はあらゆるものに通じている。実は精神薬でさえその考え方は用いることができる。

精神薬を飲むなどというのはバカげた行為だが、すべての背景と害とを知った上で飲むのなら、それはなにも止めやしない。知ればほとんどすべてのニンゲンがそれをやめるだろうが、己が何を考え、何を選択し、自分が決断してその責任はすべて自分が背負う、という思想がもしそこにあるなら、それは飲んでもらって結構なのである。

しかし多くの人はこのプロセスさえもたどっていない。これは専門家だとか素人だとかいうのは何の関係もない話である。これはど素人でも必ずその知識にはたどり着くことができる。たどり着けないのは要するにたどり着く気がないだけにすぎない。

最後に話を「ナンとか療法」に戻すが、あらゆる治療家も利用者も、自己が何を考え、何を選択し、何を目的として、自分が決断してその責任はすべて自分が背負う、というプロセスをたどっているかどうかをもう一度見直すべきである。私にとってはどの「ナンとか療法」を選んでも前述したように100点ではないが、逆にいえばどの「ナンとか療法」を選んでもらっても全くかまわないのである。最も重要なのは個としての意志をもつことである。それをほとんどのニンゲンから感じないからこそ、バカにすることが続くのではないだろうか・・・
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テクノロジー犯罪被害と漢方

はじめまして、私はテクノロジー犯罪被害者のりゅうと申します。
無線電波による電気ショックの暴行と音声送信による罵倒・脅迫をされています
この犯罪の被害者は、警察に行くと医者を進められ、医者に行くと統合失調症という用意された嘘の病名をつけられ、犯罪被害なので治るわけないのに薬を出されて、精神疾患という烙印のもと言論弾圧・人権侵害に、出された薬による薬害等も考えられる悪質な犯罪の被害を訴えています

最近、仕事に就く事もこの犯罪により妨害されて、生活相談の窓口にてこの犯罪被害を、上記の事も含めて相談したところ、そういう事を理解したうえでの治療、特に漢方の方を扱う医者で、悪夢を取り除くことのできる薬があるとか、電波に過敏になるのを防ぐ為の薬でブロックするお薬を使う人がいるから少しでも楽になるのではと進められたのですが、漢方のお薬などでそのようなことはできるのでしょうか?
それとも薬を進める口実なのでしょうか?

漢方など薬に詳しい先生としてはどう思いますか?

No title

そんなモン漢方なんぞ何の意味もありません。
テクノロジー犯罪だと主張するなら、万人がぐうの音も出ない証拠を自らつかむことです。そもそもそれを訴えに警察とか医者とかに訴えに行くとか、クレクレ君丸出しのただのバカ。あなたみたいな雑魚を誰も脅迫なんぞしません。意識が低く世界構造も知らない愚民に興味はない。

えせファンデーション

>>りゅう
保険だよ保険。どうも、社会(規模は書かない)が被害者見捨てた場合、SZをとる屁理屈に使用したいみたい。薬を飲んで聞いているからSZと世間様に言いたいみたい。薬飲まないと(たかが睡眠薬でも)まず眠れないことが多いし、そのとき決まって必ず飲ませてや万が一SZに出来ないといった幻聴もどきがきこえるよ。

No title

精神病薬を飲んでも全く強靭でいられることがベスト?
それは可能?
どう思います?

No title

精神薬は、私には、ダメですね。生き方としても、認めたくないですね。体験上、段々とダメになるように、思います。薬、あってもいいかもしれませんが、どうでしょうか?回りは?薬を飲んで、タフに生きるぐらいなら、薬をやめて、タフに生きて欲しいです。別に、薬をやめたからと言って、素晴らしいモノでもありません。醜い現実、認めたくない現実と戦い、その中で、自分なりの幸せを探すことが、生きることのように思います。

発達障害!(発達は一筋縄では行かない)

「どの『ナンとか療法』を選んでも前述したように100点ではないが、逆にいえばどの『ナンとか療法』を選んでもらっても全くかまわないのである」——これは(治癒の物語つまり)物語の恣意性(http://bit.ly/143CzJQ)という話で、科学としての普遍性を持ち得ない部分つまり文化依存性が高い部分と言えます。トニー・アトウッドが日本人のものの感じ方までアングロサクソン風に規格化しようとして、『無限振子』の著者=どこぞの精神科医(♀)を取り込もうとしているようですが、アトウッドの話なんか読むより三好達治の「鴉」を読んで各人、考えたほうが有意義です。アングロサクソンの妄想性障害による疾患概念(http://ameblo.jp/cchr-nagano/entry-11240928021.html)とも言える発達障害論は批判に堪える内容がなく早晩、消えるでしょう。そうした流行に振り回されてはバカ丸出しなので、そういった流れを無害化するためには、人類、皆兄弟、人類、皆発達障害!(≈発達は一筋縄では行かない)と言いましょう。日本人は、不調に陥ったら禅の流れをくむ行動療法で身を修める(調身、調息、調心)のが吉でしょう。

精神薬

薬によって、性格は変わるかもしれません。では、あなたの飼っている猫ちゃんに薬を与えますよね。そうすると、おとなしくなって、性格が変わりますよね。しかし、可哀想ですよね。これでも、あなたは、いいですか?
ワクチンでも、何でも、同様に思います。性格。一番、良いのは、生まれもった性格だと思います。健康面から、言うと、中国の医療では、作られた性格では病気になりやすいのです。面倒な面も、ありますが、ご理解頂けたでしょうか?持って生まれた性格は、変えてはいけないのかもしれませんね。
プロフィール

Author:キチガイ医
平成25年4月よりTokyo DDCとNPO法人薬害研究センターを設立、平成28年1月からはうつ民のセレクトショップや無料メルマガもやってます(詳しくはリンクをご覧ください)。薬の減薬や断薬、支援施設運営や、執筆や啓蒙活動を通して、自分の素人的意見を発信していければと思います。当ブログはリンクフリーですが、リンクするときは一声おかけください。

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