健康という幻想

なぜ人は健康を求めるのか、これにはキチガイ医に一つの提言があ​る。この世の医学者、治療家、セラピストをすべて敵に回す考え方​である。それは健康でないことこそが人間として当然であるとい​う考え方である。人間は常に不調を感じ、愚痴をこぼし、その不調​と付き合いながら自然に生き死んでいくものではないのか?

代替療法者などの場合特に多いが、自然療法という名の不自然治療​に準じていればとってもハッピー、体調が良いなどという人がいる​。しかしそれは本当の意味で自然なのか私は大いに疑問である。自​分自身で考えても私はいつも体の不調を感じている。と思ったら​それを忘れていて、また思い出したように不調を感じる。理想的な健康体などと言うものは、何処にも無い。現代の人々は健康じゃなくても生きてればいいやとはとても思えないのである。それ自体が洗脳されているということに気付かない。

健康であるということは、体の何らの症状がないことだと考えて​いる人が多いようだ。しかし私に言わせればそれはおかしいと思う​。その症状はあなたのセンサーそのものであり、生きている証明その​ものである。その症状を愛さねばならない。それを治そうと思うか​らこそ医学の奴隷になる。医学でなくても何か治療しなくてはと思​うことになる。とは言え結局私も治療しているのだが、これが原則​であると私は現在思い至り、自分にも患者さんに適応している。健康ばかり追い求めるからこそ、色んな商法がうまれだま​されたりも発生する。本来治療の目的は病院を卒業することにあり、その不調が自然であると悟ることにこそある。

ある村に薬剤師が来たら今までみんな健康だったのに、皆病気に​なってしまったという有名な逸話がある。それは薬剤を飲んでいな​くても不健康になってしまったのである。何よりも不調であること​は相談しなくてはいけない、相談したいという環境こそが、その村​を不健康にしたということだ。結局病は気からみたいな話かもしれ​ないが、やはりそれは真実である。これは禁断症状に関しても同じことが言える。禁断症状があるから何もしないとか薬のせいにしているだけというのは、脳梗塞で手足が動かなくなったときにリハビリも何もしないということと同じである。その思想の根底には元気になったらとか好調になったらとかいうのが存在しているのである。そしてそういう思想である限り、禁断症状から逃れることはできない。苦しくても動くというのが基本中の基本なのである。

私は免疫学や栄養学やホメオパシーを批判していると述べてきた。ここはいつも表現が難しい。こう書けば普通の医学賛美者であ​るととらえる人も多いだろうが、私は全否定者であり全批判者であるとい​ういい方が正しいのだと思う。加えていえば自分さえも否定し批判​している。ホメオパシーや免疫学や栄養学はごまかしが多い。かつプラセボ効果を最大​限に生かして治療に応用することが多い。当然ながら人間にはプラ​セボが出やすい人と出にくい人がいる。これを念頭に置く事は重要​であり、その点で代替療法の価値は認めうるものである。さらに言​えば当然プラセボレベルではない、しっかりとした治療効果が得ら​れるものもあるだろう。しかしここで大きな問題は、ホメオパシー​や免疫学を推奨するものが、単純な科学的データや疫学的なデータ​さえほとんど出さないという現象である。自分たちのデータを正直​に出さずして、医学を批判しアンチテーゼ足る道理は存在しない。​これを学問として大成させていきたいなら、ダブルブラインドでな​くても良いから、一般人にとってもわかりやすい結果や資料を提示​する必要があるのだ。

さて、では医学はどうか?ここまでを読むと医学のほうが上に感じ​てしまう人がいるかもしれない。しかしそれは大間違いなのである。医​学の結果というのはほぼすべてがプラセボ以下、失敗続きの連続な​のである。代替療法がプラセボと副作用発現のなさを利用し、50​%の治癒効果が得られると仮定すれば、医学など医原病の塊である​から、10%とかそういうレベルでしか結果を残せていないのであ​る。精神医学に至ってはほぼ0%である。だから代替療法のほうが医学より許容されうるのである。これを理解せずして代替​療法の勧めもへったくれもない。代替療法は神の治療でも万能治療​でも何でもない。そして医学はほとんどが無意味な殺人学なのであ​る。

もちろんこれは高額な代替療法を肯定するものではない。そんな高額な代替療法を使用しなくても保険に近い範囲や、月に1~2万くらいで個人の努力と掛け合わせて効果を発揮することはできるのである。タダでやれとかいうアホはこの際相手する価値もない。一般人の基本的な収入との比較で考えるべき問題である。予防的な意味や気に関係する部分でコストパフォーマンスに優れたものを有効活用する、代替療法の価値はそこにこそある。そして医学の価値は救急やアクテウィブな外科、内科、産科、小児科領域くらいにしか存在しない。医学にかかればかかるほど健康ではなくなっていくのである。
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No title

全く同感
言う事なし
おっしゃるとおりです

素晴らしい文章だと思います。
身体になんの症状も無くなるなんてあり得ない、もしくはそういうものを追い求めているうちに寿命が来てしまうかも知れません。

物凄く説得力があるし、先生の仰ることは分かるのですが、中々心からそう思うことは難しいです・・・。

No title

神経症で言うならすっきりすると言うのが幻想。
クリアーな心など存在しない。
いろいろ思ってるのも平常心なわけです。

No title

同感です。病院に行けば、「病人」にさせられます。
次は私の事例です。

平成19年5月29日に産業医笹原信一朗(筑波大学大学院講師)から「あなたは病気ですから休業してもらいます。これから意見書を書きます。躁でないとするなら、診断書を100通用意しなさい。裁判でも闘います。」と告げられ、「二ヶ月休業」処分されました。
主治医診断書「笹原信一朗診断の『双極性気分障害』の否定が必要」を提出したのですが、「この診断書では過去の診断を否定していない」と告げられました。
そのため、権威ある高度医療機関である筑波大学附属病院を受診しましたが、「過去の診断に関与しない」と告げられました。診断を求めて告げられた病名は「mood dis susp」(気分障害の疑い)でした。しかし、個人情報開示請求をして開示された診療報酬明細書での病名は「双極性気分障害」でした。
その理由を問いただすと、筑波大学附属病院は次のように回答しました。「診療上の病名とレセプト上の病名は、必ずしも一致するものではない。保険機関の審査に確実に認められる病名ということで、最も近い病名を選択しなければいけなかった。」
★この回答からわかること。
病院を受診すれば、病院は診療報酬を得るために、保険機関の審査に確実に認められる病名(病気)になる。
これは、過剰診断・薬の過剰投与・過剰診察の温床である。

こんな本



「医者がストライキしたら患者が良くなった!」

てなタイトルの本を見かけたことがあります(笑)

買ったらよかった。

No title

病院より
透析患者からしたら、健康を望むの。たとえ鬼なっても、移植をまた望むの。(これでもかなり抑えている)

内海先生、facebookで逆切れして投稿消したらあかんやろ。皆見てまっせ。

真の健康とは

私は現在断薬中のもの。12年前の健康な自分が遠い過去です。西洋医学では治せない病(精神疾患)東洋医学からの観点から断薬をし真の自分を取り戻したいと思います。

No title

FBつながりで内海さんの過去の記事を拝読させて頂いております
今では同じ思想を持ったお仲間も、支持する方も多い内海さんですが過去は色々ご苦労なさった経緯が見えました。
そりゃそうだ、医師による医療批判ですもの。
私も微力ながら正しい事を伝えてゆきたい。と新たに決心した次第です。
今後の益々のご活躍をお祈り申し上げます

イタリアではオカシくて当たり前と考えるようですね
これが自然なのかもしれません
プロフィール

キチガイ医

Author:キチガイ医
平成25年4月よりTokyo DDCとNPO法人薬害研究センターを設立、平成28年1月からはうつ民のセレクトショップや無料メルマガもやってます(詳しくはリンクをご覧ください)。薬の減薬や断薬、支援施設運営や、執筆や啓蒙活動を通して、自分の素人的意見を発信していければと思います。当ブログはリンクフリーですが、リンクするときは一声おかけください。

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