言葉と行動

たまには自分自身の観念論を並べてみようと思う。といっても結局精神論につながる話ではあるが、定期的に書いておかないとどうも私を誤解する人が多くなる。まるでいい人であるかのように錯覚する人が増えてしまう。それは好ましいことではないので、キチガイ医としてこういう内容は重要だ。

基本的に私は人間という種族を信頼しない。それは私の原点であるかと思う。だから常に批判論を並べることができるし、精神医学や医学全体についても裏の裏までみることができた。事実を見つめることができたことは良かったが、代償としてというか信頼しないということはあまりたくさん友人もいない。もちろん非常に仲の良い友人はいるが、それはお互いに徹底的にけなし合える間柄である。そのような人間はほんの少ししかいないが、それ以外は信頼するに足りるとは思っていない。

信用できる人間ならそこそこいると思う。事実を突き詰め自論を展開できる人間は基本的に信用できる。しかし信頼するには足りない。なぜならその人たちは最後には自論を優先しだし、他人にもその自論が正しいことを強要しようとするからである。私の友人たちはお互いがお互いを認めながらも、それを相手が受け入れることなど毛頭ないことを知っている。その間柄を楽しんでいる人間関係と、最後に自論を強要する人間関係にはかなりの差がある。精神医学に話を戻せば、私はこの精神医学が世界中で行っている事実を知らない人間、認められない人間には興味がないのである。無理して助けようと思っているわけではないし、その事実は私の自論ではない。事実は事実であり強要しようという気もさらさらないのである。本気で助かりたい、脱出したいという人間にしか手は貸さない(しかも部分的にしか貸さない)。一方あれやこれやと言い訳や自己正当化が出てくる人間はそうあればいいと思う。そして死んでいけばいい。実際最後は精神医学に殺されるだけだ。

もう少し踏み込んで考えれば精神医学も医学そのものも患者も患者家族も、事実を突き詰めて認識しようとする人は驚くほどに少ない。つまり私は精神医学は当然のこと、医学も患者も患者家族も全く信用していない。今、日本で最も信用できる医学研究者(医師ではなく。臨床してないから)は浜六郎氏だろうが、彼は医学の見地からではあるものの、徹底的に事実を突き詰めて研究しようとアプローチする。だから精神科医でもなんでもないのに精神科セカンドオピニオンがクズ本だとまで考えることができた。書いている本も立派な内容が多い。それは私のアプローチとは全く違うが信用するに足りる。といっても医学の土俵にのったままだと精神医学の本質は見えてこないのだが、もし人々が「ああいう風」であればほとんどは被害を受けることがなかったのである。

しかし通常の医師も患者も患者家族も、そういうアプローチをとることはない。必ず事実を事実として認識しようとはしない。そして自論を他人に理解してほしい、他人を自分の自論色に染めたいという発想を抱く。これが最も私のようなキチガイの信用を損なうことを彼らは知らないようだ。別に本来私などの信用を得る必要などないし、それぞれ好きにやってもらえばいいことなのだが、こんな私に対してでも理解してほしい、聞いてほしいという人間は後を絶たないのだ。そしてそういう人間たちに限って言葉を重要視する。こちらにいわせれば「ぐちぐち言うな、うるせーよ。で、あんたは何をしたの?この世で何をして生きたの?」でしかない。

私にとって言葉というのは何一つ信用も信頼もおけるシロモノではない。それは誰がなんと言おうがどうとでも覆すことができ、どうとでもごまかすことができるシロモノである。ゴリ押しすればすむシロモノであり、困ったら謝ればすむシロモノである。もちろん言葉が下手よりは上手い方がいいのかもしれないが、そうすると単なるディベート上手が必ず勝つという構図が生まれる。そんなものに私は興味もない。私にとって言葉のアゲアシ取りなど何の意味もないことである。

私にとって、人を信用するに足りるかどうかを判断できる唯一の方法は、その人間がどのような行動をとっているかどうかに帰結する。それもいかに正直に、いかにリスクフルに、いかに己を明確にして行動するかによってきまる。実際に今、協力し合っている人々はそういう人々が多い。それらに比すればどのようなきれいな言葉も、何一つ価値をもたない。事実に対して忠実に行動できるか、リスクある状況や結果が予想できても恐れずに行動できるか、そもそもその行動や発信をするうえで、おのれを曝して人の批判をかまわずに行動することができるか、私にとっての第一の評価基準はそれである。そういう人々はたとえそれが患者家族であれ、被害者であれ、世でアホと呼ばれる人であれ、どのような専門家よりも立派な存在である。逆に言えば被害者であることから脱出できず、言葉ばかりで行動できない人は、どこまでいってもやはり被害者であり、生存的たる人生に到達することは難しかろう。

振り返ってみるとやはり精神医学や患者や患者家族は、この原則から著しく離脱している人が多い。減断薬についてもそうである。精神医療の改善や撲滅を願う点についてもそうである。精神科医にかかった理由についてだってそうである。基本的にどのような立場であれ、言葉だけで終わってしまったら言い訳である。喰われるしかない話なのである。もっといえば日本人全員がそうである。放射能の問題も農薬や食品の問題も児童の問題も消費税の問題も、誰が本当の意味で行動しているか、全く不鮮明ではないか。これらについてどれだけの人が結果につながる行動をしているというのだ?リスクを抱えながら可能性につながることをしているというのだ?そんな人を私はほとんどみたことがない。

そのような意味で私は患者会など作ったことがないし、今後も作ることはないだろう。家族会など言うのも口が汚れる存在である。その存在自体がすでに傷のなめ合い、自己正当化の限りを尽くしているだけのことである。ネットワークはつくるだろうがそれは決して傷のなめ合い集団にはならない。情報共有者でしかないのだ。この世に本質的に精神病者は存在せず人々は人々で行動すればよい。このことを受け入れることができる人は、この世にはほとんどいるまいと思う。それで結構、私は誰も私の考えなど理解もできないし、ついてくることもできないとさえ思っている。それを強要したくもないのである。


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まとめtyaiました【言葉と行動】

たまには自分自身の観念論を並べてみようと思う。といっても結局精神論につながる話ではあるが、定期的に書いておかないとどうも私を誤解する人が多くなる。まるでいい人であるかのように錯覚する人が増えてしまう。それは好ましいことではないので、キチガイ医としてこう...

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No title

私の考え方は少し違ってて、ドーパミンが出やすい活動(やってて気持ちのいい活動)をしている方は、快楽が動機付けになっているので、あまり苦労は少なく、ドーパミンが出ない活動(やってて辛い活動)を率先してやってる人は、快楽とは別の動機でやっているので、苦労は多い。
人のため正義のためと入っても、前者はドーパミンでの快楽が与えられ、後者は高い意識だけで活動をされているので、活動の内容はどうであれ、どちらが厳しい活動をされているかという面では、やはり後者であって、そういう活動を続けられている人は、尊敬に値する。
極論へ傾いてしまえば、葛藤の苦しさからは開放され、ドーパミンをもたらしてくれる仲間と募れば、活動自体は快楽が後押ししてくれ、苦悩を感じなくてもよい。

No title

今朝も読売新聞一面下(とても目立ちます)の書籍宣伝欄に東洋医先生の本
「精神科は今日もやりたい放題」の宣伝が堂々と載っていました。
なんと、六刷りにもなっているんですね。
万歳!と思わず叫びました。

>あの医者の話に納得できますか?
>*病名を作り出せれば、業界は大儲け
>「精神科」では誰も治らず患者はたまっていく
一方」
>業界の現実をえぐり、
>「よく書いてくれた!」
>など絶賛の声が殺到中のベストセラー。
>★★★六刷り出来★★★

超多忙の中、このような素晴らしい本を出してくださり、感謝しております。
この本により、多くの命が救われるということは言うまでもありません。



No title

さあ救われるかどうか?確かに本は売れているようですが、どうも曲解している人が多い。この本は精神医学のウソや詐欺についても書いていますが、基本は精神は誰かが治すなどというものではない、この世で精神をよくできるのは自分だけ、ということを書いているつもりです。しかし大半の人は本を読んでもそう考えていない。それが私を毎日辟易させます。子どもが死にそうになっていても自分で調べて自分で何とかしようとする親など見当たりません。やはりどこまでいっても他力本願、どこまでいってもクレクレ親やクレクレ患者ばかりなのです。

No title

精神医療被害の問題には必ず親が関与していると考えたほうが早い​。とくに統合失調症や発達障害などと診断される子どもの場合、親​抜きに考えることは難しい。精神医療被害を知る多くの識者は、親​を騙した存在である精神科医や製薬会社を悪者として話を進めよう​とする。親は悪くないという論調がおおい。理屈はわかる、しかし​私にはその考え方はない。

親と子供が相談に来て、親が薬を飲んでいるというケースを見かけたことはほとんどない。必ず子どもが薬を飲んでいる。そして家庭内に問題が多いのがパターンだが、支配権は親が持ちその支配に耐えられず子どもがトラブルを起こすというケースがすこぶる多い。​元々権力は親の方が強いのに、薬を投与しようとすることによって、さらに支配権を強めようとする。障害年金や生活保護を子どもにとらせ、その金を親がくすねているといったケースはざらである。

精神医学がウソしかない現状において、家庭において引き起こされるトラブル、精神症状はすべて家庭に帰結するべき問題である。すべては育て方、環境、食事、教育などに帰結する問題なのである。それを他者に相談しようという他力本願から、善意の陰謀が生まれ精神科へつながれていく。常々私は家族会は虐待支援会だといっているが、これは世界中の家族会を敵にまわしてでも言い続けたい。薬漬け行為をしてしまった以上、親が許されるのはこのことを徹底的に理解し、子どもに贖罪するだけのことである。もしそこまで勇気がないのなら、ほっておいてあげればいいだけのことである。

最近、私をいい人だと誤解する人が多いようだ。暴露本を書いたからそう思われるのはやむを得ないのかもしれない。しかし私自身が極悪人であるということは避けがたい事実である。私は家庭の問題など解決してあげる気はさらさらない。なにせ当事者に向かって「親に復讐したいよね?○ッちゃいたいよね?」って聞いて、「先生​の言うとおりッス」って法律違反丸出しの会話が日々行われているキチガイクリニックなのである。

うちのクリニックはすべて当事者の意思にゆだねられている。そこに親が入り込む隙間はなく、すべての親は虐待者でしかない。そしてやることはただ一つ、当事者を薬と精神科医から解放するだけのことである。復讐者と化す当事者を私自身止める気はない。あとは社会に裁かれればいいだけとしか思っていないのだから。それが対等という言葉の真の意味である。

内海先生

先生の本が我が市(兵庫県の中核市)の大型書店の棚に他のなだたる精神医療とかの本と区別され、よく目立つように沢山並べてありました。
関心の高さの表れでしょうか?

この本を拝見して初めて、自分の意見というものをはっきり申し立てることが出来るようになりました。

月並みな言葉でしょうが、こんな勇気ある行動にただただ感嘆いたします。

ありがとうございました。

No title

>やはりどこまでいっても他力本願、どこまでいってもクレクレ親やクレクレ患者ばかりなのです。

大半の人間は、そんなものじゃないですか?
世の中への期待が、高すぎると思います。
修行僧のような精神を持つ人、持てる人なんて、ほんの一握りでしょう。
だからこそ、内海先生のような人の価値が上がるのであって。

No title

>元々権力は親の方が強いのに、薬を投与しようとすることによって、さらに支配権を強めようとする。

これは確かにそうで、結局、子どもが病気かどうかを判断するのは、医者ではなく、親だということです。
医者は、親の承諾なしでは、病気であると診断できません。
親が「これだけ問題行動をするので病気ですよねぇ」と言うので、医者が病気だと診断してあげているだけです。
反対に、親が「ぜったい病気でない」と言い切れば、どんな奇妙を行動をとったとしても、病気にはなりません。

先生が言われていることは、特に高潔でも孤高でもありません。
精神科?何それ?という普通の人達が多かれ少なかれ持ち合わせている、至極当たり前の感情ではないでしょうか。

同じ無知でも、その質は大きく異なります。
自分の子供を病気として認定したがる(させたがる)親は総じて未成熟です。だから子供の行動を受け止めきれない。器が小さいんですよ。

No title

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

No title

このドキュメンタリ-は非常に参考になります。実際私は毎日このような患者さんを相手にしています。そして「世の中知らんからそうなるのよ?覚える気ある?」なんてお説教して、泣きながら「あります!復讐の方法も教えてください」って返事が返ってくるので​す。まあわたしがやっていることもまた、虐待かもしれませんが。

http://www.youtube.com/watch?v=K-cta6NtTEk

No title

>実際私は毎日このような患者さんを相手にしています。
>そして「世の中知らんからそうなるのよ?
>覚える気ある?」なんてお説教して、
>泣きながら「あります!
>復讐の方法も教えてください」って

恐ろしいけれどこれが、現実ですよね。
この女性はたぶん減、断薬で正気に戻ったからこそ怒り爆発させることが可能になったのであって
未だに、薬漬けになっている患者達は精神薬=中枢神経遮断薬で犯され、
つまり思考能力を奪われ、自分の立場を考えることさえままならない人が多く存在しますよね。
精神科医にとっては思考ゼロ+発言ゼロの植物人間になってくれていたほうが、好都合なのでしょうが。
これではとてもじゃないけど、医療とは呼べません。

No title

ただ、この手法は15年ほど前、一時期流行った、斎藤学のアダルトチルドレンからの脱却法に酷似しているんですよね。

親が悪い→親と対決→収束or混乱、
精神科が悪い→精神科医と対決→収束or混乱、

実際、人のせい、他人のせいにして回復できる人は、「今からは自分の責任で生きる」と決意できた人であって、この手の手法を多様していると、当然、その中には、決断をせずに、何がおきても他人のせいにして、いつまでもゴネまくる人がでてきます。
ここで言われているクレクレDQNという人でしょう。

親が悪い、医者が悪い、薬が悪い、その場合も確かにありますが、そこから自立せず、努力せずに、考えもせず、ゴネて強請って、反社会的な行動を繰り返し、甘えていては、それこそ精神病だと言われてもしかたがありません。

そういう人は、結局、お薬でお休みさせられてしまうだけです。

精神科の問題への「気付き」は、ゴネるためのネタではなく、自立や自己責任への第一歩であるのだと思います。

No title

内海先生は高潔で孤高な存在だと思います。
世の精神科医や心療内科医が、なだれをうって賛同しているようには、ちっとも見えないから。
そして、今の親は未成熟な人が大半です。
今の世の中、未成熟じゃない人を見つける方が大変です。

今の精神科医療

一体どのような力をもつ人間が流れを変えるのでしょうか?
政治なのか行政なのか、法律科や医療関係者なのか?

某精神科医にボロクソやられて怒り心頭の革命的な人気をもつ政治家に期待するべきか?

まぁ、僕らみたいな人間はメンタルヘルス関連法が出来てもニコニコ笑顔で対応するけんど、まぁ、しんどいてなこと1つ迂闊に言えない御時世ですね。

間抜けな国や国民に失望します。

知らぬが仏

を初めて使った人はまさに天才です。

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No title

東洋医さん

相変わらず 掴みどころないよね~。

でもそれが あなた

No title

おそらく、「精神科は…」の反響が大きくて、薬を飲んでもなかなか思うようによくならないご本人やご家族の方から問い合わせが、結構来ているんではないでしょうか。
偉そうな本を書いたからには、「もっとよい治せる方法を知っているのか」とか、「自分の思っていた通りだ」と英雄にように奉られたり、でも、本を読んで『気づき』を体験した人でも、そのままでは何も解決しないんですよね。
薬を止めても、離脱症状に苦しんだり、薬で抑えられていたものが無くなり、暴れ出したりし、事件事故をおこしたり、それを自力で乗り切るためには、食事に気をつかい、運動をしたり、常に知識を仕入れて、本人も親も努力しなくてはいけない。
ただ、努力できる人はほんの一握りであって、その他は偉そうな反精神科本を書いた東洋医さんにクレームとして戻ってくる。

そのクレーム客に対して、「何か勘違いしていませんか?自分はただのキチガイ医師ですよ」、「精神科の被害にあって困っている人は相談にのりますが、ただのクレクレDQNは相談にのりませんよ」っていうのが、今の東洋医さんのスタンスです。

そこをしっかりつかんでいないと、移り変わりの激しい東洋医さんのスタンスについていけません。

No title

第二回の動画見ましたが、卑劣で破廉恥で良心のない顔でも無かったと思うよ
意外でした。
目がらんらんと輝いている人でもなさそうだし


大改革が始まる!

読売新聞さん、ネットの中だけでなく、やっと紙面上で書いてくれましたね。
このまま、第二弾、三弾と関連記事を続け、
腐敗しきった日本の精神医療を多くに知らしめ、
廃絶の一歩としてほしい。
いままで、こんな記述は、見たことがありませんでした。

>20年以上前から知られていた。
>使用を4週間以内に抑えている。
>使用量は米国の6倍にのぼる。

*読売新聞「6月7日」夕刊のから抜粋*

【前略】(ベンゾジアゼピン系薬剤は)適正な量であっても長く飲むと、
薬の効果が弱まったり抑うつなどの副作用を招いたりするのに加え、
薬物依存に陥ることが
20年以上前から知られていた。
そのため欧米では、使用を4週間以内に抑えて
依存を防ぐのが一般的だが、
日本では長期処方が広く行われてきた。
国連の国際麻薬統制委員会が2010年にまとめた報告では
日本はベンゾジアゼピン系睡眠薬の使用量が極めて多く、
人口1000人あたりの使用量は米国の6倍にのぼる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

閉鎖病棟に閉じ込められている多くの患者さん達も
この記事を読んだことでしょう。
なんらかの反乱を起こしてほしい。

No title

子供の時には全く友達がいないのに、大人になってから友人ができるケースがあるのですね。

ベンゾ依存症に陥る基準

よく、ベンゾを「長期」、「高用量」で使用すると依存に陥いるといわれる。

「高用量」の基準はなんとなく分かります。

「長期」の基準って何?普通「長期」といえば、年単位とかで考えますよね。

それが4週間以上で「長期」に当たり、依存のリスクがある、と聞いたとき愕然としてました。


精神科医はこれを分かってか、漫然と処方しているのがほとんどだと思います。まさに犯罪行為!!

No title

閉鎖病棟で何か行動を起こすということは、病気の症状が悪化したとみなされます。
薬の量を増やされるのは当然ですが、保護室に入れられたり、看護師に暴力を振るわれるかもしれませ。
しかし、これらの閉鎖病棟内の出来事はすべて治療行為ですので、死亡事故にでもならない限りは、表沙汰になりません。
健康診断だといっては、CTスキャンを撮りまくって、保険点数を水増ししたりもします。
医師や保健師、ソーシャルワーカーなどに文句をつけて、それが通ることはあり得ません。反乱はは可能です。
何が起きても、医療行為ということにできるため、刑務所よりも、よほど恐ろしいでしょう。

No title

誤植:反乱は不可能です。

少しずつですが

風向きが変わってきたような気がします。
仕事場の前のメンタルクリックとやらも出入りがへったような気がします。

まだ、気のせいの範疇ですけど。

精神科医のおかげで入院させられ仕事を失った方も多いはず。
この不況下でただでさえ仕事がないのに無責任極まりない!
私からすれば東洋医大兄のキーサンぶり等よりもこころの医者とやらの世間知らずぶりのほうがよっぽど悪党です。

しかし、あれだけ被害が出ているとさすがにこころの医者たらに疑うものも少なからず発生するであろうし、また声が大きくなろうことすら予測できなかったのだろうか?

世間知らずぶり極まれり。

次は製薬会社でして、アメリカであることは遅まきながら日本にも輸入される。
撤退出来にくいから質が悪い。

まぁ、御自分たちで撒いた種をもう刈り取れないでしょう。

庶民の声

内海先生の本

レビューやブログなんかでもかなり反響ありますね。

悪評を書いているのは大体駆け出しの看護師や、医療関係者の周辺ですね。
患者になりすましみたいなものも見受けられます。

せめて謀叛をおこした大阪の看護師のように疑いをもって欲しいです。

患者をみている癖に悪事に加担しながら生命を守る使命感をもっている。

自分はグローバル化する社会なんぞ糞食らえ派ですが、ああいう方々は、グローバルな視野をもって欲しいです。

日本だけ医師周りには奴隷制度から抜け出せないみたいですね。
プロフィール

キチガイ医

Author:キチガイ医
平成25年4月よりTokyo DDCとNPO法人薬害研究センターを設立、平成28年1月からはうつ民のセレクトショップや無料メルマガもやってます(詳しくはリンクをご覧ください)。薬の減薬や断薬、支援施設運営や、執筆や啓蒙活動を通して、自分の素人的意見を発信していければと思います。当ブログはリンクフリーですが、リンクするときは一声おかけください。

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